火曜日

土日の余波でまだ街は落ち着かない。まだ街は雪に埋もれたままである。除雪も主要な道路を優先しているため住宅街の道路などは車がすれ違えるほどの道幅がないところもある。
 
 この点は北海道の不利な点である。冬の間経済活動を休止し、冬眠するなら別なのだが、工場は操業し、公共の交通機関を運行しようとするなら、冬の間の経済ロスは相当な額になる。

 また、北海道にいても、沖縄にいても冬の間の生活を同等にしようというのは無理な話なのだが、いつの間にか国民はそれを望んでいるらしい。それが国民に与えられた平等だと思っているらしい。

 高速道路にしてもそうである。東国原知事は、宮崎に高速道路を通して欲しいと盛んに言っているが、それを認めてしまうことは全ての国民が同様の利益を求めるということになる。
 ここは、全ての国民が平等の生活を求めることは無理だということを理解してもらわなければならない。北海道が真冬でも沖縄の人と同じ生活するために環境を整備することは地域バランスから言って不均衡になる。

 日本の経済を考えたとき、日本全土がどのような発展をすべきかというビジョンなくして高速道路の建設は無い。それを言えば、何故あれほど交通の便がよくならなければならなかったのかということを反省しなければならない。

 もし東京の発展がアンバランスだというなら、速やかに首都機能を移転させるべきである。それが一都市集中の弊害を生むなら。
 それもできない政府など日本には必要ないともいえるのでは無いだろうか。

 沖縄には、夏の暑さと台風という弊害が存在し、北海道には雪と寒さという弊害がある。しかし、それぞれ沖縄にはその暑さを目当てに観光客が訪れ、冬の北海道には、その雪を楽しむために観光客が訪れる。立派に不利な条件を逆手にとる行いをしているではないか。

 戦後始まった自動車社会は、国民の暮らしを向上させた。しかし、その一方で大量輸送機関である国鉄を弱体化させた。その影響は地方ほど強く現れ、今では田舎に行くと車だけが生活の必需品になってしまっている。本当は地方ほど国鉄を残しておくべきだったのである。
 それがないばかりに国鉄より金が掛かる高速道路を整備しなくてはならなくなった。国鉄は大赤字だったが、高速道路を作り続けることにより生み出される資金量を今の現状で比較した結果を知りたいものである。
 もしかしたら国鉄を維持しているほうが、高速道路の建設と維持にまわされるお金より少ない結果になるのではないだろうか?

 もしかしたら国鉄改革は無駄だったという結論になる可能性もある。それも振り返るだけ、考えるだけ無駄なことかもしれない。

 そういうように時代は過ぎ去っていくのだともいえる。