世代間争い

曇り空、外は寒い。今日は、このまま曇り空のようだ。 今日の朝日新聞の一面TOPは、若者、高齢者との世代間競争についての記事であった。今の政治は、団塊という年寄りが自分達の暮らしのために政治を行っているというものだった。  しかし、そのくくりは間違っている。団塊vs若者という単純な構図は、読むものにとって大変都合が良い。何故なら何らかの対立軸を元に話すことで、白黒はっきりし、単純な読者は、自分の立場に置き換えどちらの陣営であるという自分の立ち位置を明確に出来るからである。  でもそれ程単純な話ではない。団塊と呼ばれる高齢者の世代と、若者の間には、その他のグループが存在する。それは団塊の上司の下、指図され生きてきて、その思想を埋め込まれた中間層が存在するからである。 またここで単純化し、これを飼いならされた世代というのは簡単である。ここでも単純化させることは可能である。  その世代が自分の世代である。反抗することに疲れ、無責任世代の野放図さに翻弄され従ってきた。上の世代の造ってきたそのレールを確固なものとするために働いてきたといっても過言ではない。更に言えば、自分も甘い汁をすうために従ってきたといっても良い。 それは、戦中派が何もかも無くなった時代に生きるため、何らかの創造性を働かせて時代を築いてきたその後を自由という旗印の下反旗を翻し、勝手し放題に生きてきた世代のもと、競争社会に放り込まれ、出世競争を強いられた最初の世代だからである。 だから、この世代には、競争好きなグループ、それからドロップアウトしたグループ、更にどっちつかずの中途半端なグループになるわけである。  そうなのである、世代間の争いと単純にすることは、その中間の世代を通り越してしまうことになる。中間の世代は、老後の生活も大事だし、若者世代の逆境にも子を持つ親として気がかりなのである。その板ばさみにあいながら暮らしている。 そして、そのまんま若い世代と団塊の世代の争いが起き、若者世代が取って代わってもらっても困るのである。団塊世代亡き後は自分達の時代が来るものと考えていたのにそれが翻されても困るのである。  この先10年、非常に難しい時代が来るだろう。団塊との争いと同時に若者を如何に上手く使いこなすかそれをしなければならないのだから。そして当然自分たちの地位を奪われないことに汲々とするのである。