鶴丸

 快晴。昨日のぐずついた天気とは打って変わって青空が頭上に広がっている。気温も高くなりそうである。


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引用 日経ネット(http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090925AT1C2400L24092009.html

 日航再建、埋まらぬ溝 資金調達、時間との戦い

 日本航空の再建問題を巡る調整が難航している。前原誠司国土交通相による24日のヒアリングで、日航の西松遥社長は公的資金の注入制度を活用すると表明。だが前原国交相は現在の再建計画案では「不十分」との判断を示しており、日航はリストラの追加や前倒しなど大幅な見直しを迫られる。新旧分離などの抜本策が不可欠とみる日本政策投資銀行など銀行側と日航の間の溝も深く、再建への道筋はまだ見えない。

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 尾翼の鶴丸のマークを覚えているのは、どのくらいの世代なのだろう。あのマークを捨てた時日航は、国からの独立を選んだはずである。

 ネットで調べると、現在のマークが使われだしたのが2002年なので7年前、更に最終的に鶴丸のマークが消えたのが2008年と言う事なので1年前までは空を飛んでいた。

 2002年は、国策で日本エアシステム(昔の東亜国内航空)と合併し新規に日本航空として出直した年である。

 その時に、日本航空は国営の色が濃かった旧会社から、自由に世界で競争するため民間化する予定だったと記憶している。大義名分はそうだったはずである。

 しかし、その後も日航は低空飛行を続け、今の負債を抱える事になってしまった。本来なら既に会社整理対象にされている対象なのだが、何故ここまで生きながらえたかと言えば、国営の航空会社として出発したからに他ならない。その過程で、苦にとの関係が深くなりすぎ、潰すに潰せない会社の一つになってしまったのである。

 更に言えば、AirDoの問題がある。航空業界の寡占状態の解消を目指した政府の方針で、民間の航空会社が参入した。当時、北海道発の航空会社として設立された北海道国際航空は、羽田-千歳間の路線ながら、低コスト低運賃で需要を伸ばした。しかし此れに対して日航全日空の大手2社は、この路線の集客を失うまいと低運賃で対抗してきた。

 この方策に対して文句を言うべきものではないが、このときに上手く政府が介入していたら今の航空業界の状況は変わっていただろう。例えば、一地域路線だけをディスカウントするのではなく、一律に路線価を下げるように大手2社に命令していればと思う。

 そのため、ドル箱路線は安く、利用率が低いような路線は相対的に高いといういびつな構造を防げたはずである。

 大手2社は、新規参入組みを潰す事で自分たちの受け取るべき利益を確保しようとしたが、結果は自分たちの体力を落とす事となった。さらに元々民間であった全日空は、それなりに自分たちの会社の贅肉を落とし生き残りを図っていたが、日本航空にいたっては、親方日の丸の体質を抜け出す事が出来なく今の状況を迎えたと言える。

 

 タラレバに成るのだが、あの時もっと国に政策的な頭があればこの状況は無く、更に言えばもっと早く日本航空を整理できただろう。生き延びれない企業を生き延びさせた国の責任は重い。もしその後、北海道国際航空が順調に育っていれば、今頃、当時の協力企業であった日本航空を吸収していたかもしれないのである。

 またもや、国に援助を求めている日本航空であるが、果たしてこのまま救済される事が正しい方策と言えるであろうか。