無責任

 曇り、気温は低い。

 昨日、ある会議に出るため東京にいたのだが、時代は、「無責任」であることを実感した。更に質が悪いことに、その無責任も自分がそうであって他人の「無責任」には、非常に厳しいというものである。

 お互いに無責任ならば、少しは寛容性が必要だと思うが、それがない。更に言えば、責任の所在が不明なのである。

 本当にそれが正しいものなのかきちんとした検証が必要なはずなのに、その検証も無しに規則に沿った物言いしか出来ない。まさにマニュアル通りである。そこに知性が感じられないのである。

 話は変わる。

 うだるような暑さの中、道を歩いていると、新入社員らしき女性から声を掛けられた。

 「名刺を下さい」と急に話しかけられた。話を聞けば、新人研修で道行く人に声を掛け名刺を集めているということである。

 会社名を聞けば、不動産関係の会社らしい。まさしく新人研修に名を借りた営業だろう。もしかしたらブラックだろうし、本当に新人研修なのかもしれない。ただし、余り頭の良い会社ではない。

 

 それも社会の仕組を覚える経験に成るのだろうが、初めて務めた会社の営業がこれだとしたら明らかに会社としては、新人教育にコストを掛けない会社である。

 先輩社員も、その先輩から命令されと代々続いた習わしなのだろう。それで見知らぬ人に声を掛け営業できる度胸をつけさせる方法と言われているのだろう。

 これでへこたれているようでは、その業界の営業マンとしては失格ということだろうし、それに嫌気をさして辞めるのだとしたら会社もコストを掛けないで社員を選別できる方法としては、ポピュラーなものだろう。

 今就職難の時代、辞めたとしても募集すれば新たな新人がやって来るという考えでやっていることは間違いない。

 

 会社を選ぶ時、もしこのような教育をされるところなら明日は無い、即刻やめるべきだろう。そんな会社を選んだ自分を恨むべきものだろう。

 などと説教を垂れるわけにもいかず、その場を立ち去った。この先きっと二度と会うことのない、一瞬の人生のすれ違いである。東京都言わずそんなことはどこにでもあることである。

 しかし、彼女がこの先どのように生きていくのか少し気に掛かってそのことを書いているわけである。

 このような環境の若者が毎年大量に生まれ続けて行き、その先に何が一体残るのだろうか?