次への備え

 曇り、外気温はプラスだが、2,3度だろう。マイナスの時期と比べれば充分暖かくなってきた。ただし、気温に徐々に慣れてきたため寒さを感じやすいのは確かである。

 色々なものが震災の被害が残る現場を見つつ動き始めてきた。ここ一か月自粛されてきたものが徐々に開始されたからだろう。その動きとともに、震災復興と合わせ日本も元の状態に戻ろうと努力する時期に来たということである。

 しかし忘れてはならないことは、この震災の教訓を元に復興しなければならないということである。今回大きな被害を出した原子力発電所では、津波に備えた堤防を作るなどの動きがあるが、それも備えの一つなのだが、ここでもっとも考えなければならないのは、やはり、電源なしで安全に原子炉を停止させ、尚且つ核燃料棒を冷却する方法を考えることである。

 今回の教訓は、電源が無い状況で核燃料棒を冷却する方法が無かった点である。さらに考えるなら、ジルコニウムが溶け出し水と反応して水素が発生したとき、その水素を核分裂物質を含まない安全な状態で外部に逃がすシステムである。

 

 以上の方法が全て可能になって初めて原子力発電所が安全だということができる。それは、すべての現在稼働中の原子力発電所に言える。

 今後原子力発電所を使わない未来が待っているとしても、今稼働中のものを緊急停止してしまう状況にはすぐにはならないだろう。だから重要なのは安全運転である。

 そして、津波被害に合われた被災地域であるが、リアス式海岸の町は、景色を見る限り人が住めるような平地は、河口付近の扇状地しかない。町ができるとしたらそこに作るしか無いのは良くわかる。しかし、また以前と同じ街づくりがしていては、今回同様の悲劇を生むのは間違いない。

 

 津波を防ぐ堤防を作るにしても。高さ2,30mの海水の圧力は並大抵の力ではない。余程要塞のような作りでなければあの津波を防ぐことは不可能だろう。

 一番簡単なのは、今回津波の被害に有った地域に人が住まないということだろう。それができないのなら、せめて人が住む地域をかさ上げする必要があるが。あの海岸線の構造上相当な高さにしなければならないし、それをすると川を遡る津波は相当奥まで到達するだろう。

 それを天災と諦めてまた同様に街づくりをするならせめて避難場所を町の中に確保するしかない。そしてそういった災害が起き、すべての財産を流されることを覚悟してするしか方法は無い。

 きっと今あの場所で生活を再開しようとする人たちは、自分の生きている間にはあの津波は来ないと考えているだろう。しかし、その次の次の世代のころにはまた同じような津波が来るかもしれない。そのことをきちんと後世に伝えなくてはならない。