復興

 朝から雨降り、気温も5度程度だろうか、寒さを感じる。

 季節の変わり目で、花粉症と鼻かぜのダブルパンチで鼻が痛く、更に頭痛もする。最悪のゴールデンウィーク前である。

 朝のニュースは、まだ今回の震災のニュースが続くが、以前は、被災の状況がメインだったが、徐々に内容が復興に向けての動きや、被災者の今後の身の振り方に話題が移ってきはじめた。

 一日たてば昨日と景色が変わり更にまた一日と動いているのが判る。今は、色々なことに目を瞑りながら、今生き残った人の生活を中心に事を運ぶ必要がある。その間に色々な問題が起き、解決策を直ぐに出す必要がある。それが結果的に最善でなくても何か決断しなければならない。

 ゆっくりじっくり考えてというが、その時間は無い。ゆっくりじっくりは、人を落ち着かせるための言葉であって、現実はそれを待つ時間は無いだろう。

 今回の震災であぶりだされたのは、やはり人間の性だと思う。こんな時だからこそ歯を食いしばり我慢するという多くの人をしり目に、不満をぶちまける人間の多さだろう。

 困難な時に耐えることは大変である。色々なものを失い更に悲惨な境遇に陥っている人たちが存在するのに、テレビで放送される人間は、まるでそんなことが無かったように白い歯を見せて大笑いしている。まるで別世界の出来事が自分の身の回りに起きている感じることだろう。

 その中で、周りの人たちに感謝の言葉を述べることのできる人は凄いとさえ思う。それに比べて、自分たちが安全な場所にいながら、被災者の意思を代弁するふりをして自分のエゴを述べる人間のいやらしさ見ると、自分のその一人ということを感じて自己嫌悪に陥ってしまう。

 何故、悲惨な境遇にいる人が、一生懸命その運命の悲惨さを堪えているのに、その目に遭っていない人たちが、色々なことを非難するのだろうか?非難するよりも前にやることがあるだろうと考えられずにはいられない。

 

 この先、日にちが経てば経つほど、その災害があったことを忘れていく。それは、復興のために必要であり、日常生活に戻るためには必要なことである。しかし、今回の経験を忘れてはいけない。

 

 神戸に行って驚くのは、あの大震災があったことを忘れるような街の復興である。新しい世代を生きて行くには、震災の記憶など必要のないことなのだろう。しかし、どこかにその震災に遭った記憶をどこかに残すべきではないかと思った。

 今回津波被害に遭われた東北地方でも、どんどん街が復興し、その震災の景色も消えていくことだろう。しかし、どこかにその記憶を残し、その状況からどれだけ街が変貌を遂げたのかを皆の記憶に残すものが必要だろう。