菅降ろし

 曇り、時折太陽が顔をのぞかせるがその時間は短い。気温は、10度を少し上回る程度。


 すでにレームダック化した菅内閣であるが、ネットの中には以下のような話がある。

 「今回の菅総理の退陣は、原子力村を中心とする勢力の追い落とし工作によるものである。」

 確かに、今回の大震災後に起きた、福島原発の事故は、マスコミを通じて人災であるという情報が流されてはいるが、決して食品偽装のような事態にはならないということである。

 あの客が残した料理をまた別の客に食わした行為は、徹底的に叩かれた。あのマスコミの報道は限度を越していた。しかし、今回事故を起こした当事者である東電社長の記者会見では、下品な質問は皆無で、そのまま素直に謝罪を受け入れ、その後の東電にたいする批判は何も起こらず、そのご東電が打ち出した電力消費の削減提案に対しては、マスコミはこぞって節電を訴える報道に終始している。

 更に自民党は、自分たちの今までの原子力政策にたいして何ら反省の弁も述べず、谷垣総裁などは一時東電を避難する言葉もあったが、その後事故の直接の責任者である東電を非難するではなく、その事故処理の処理の指揮をとった菅総理の非難に終始した。

 更に民主党内の不協和音も、原発エネルギーを自然えなるぎーに置き換えると菅総理が発言した頃から、菅降ろしの勢いが強くなった。ただこれは、党内の大臣の椅子をめぐる名誉欲も絡み何が本当なのか判らなくなっているが、少しの炎を近づければいずれ燃え出す熾火状態だったのだから、それを上手く利用されたということだろう。

 すべての人が連絡を取り合い手をつないでいるわけではないだろう。皆それぞれ独自に行動しているつもりでも、うらで手引きする黒幕が複数いれば、色々な人間を扇動することができる。お互いの利益が共通すれば切っ掛けは何でも良いというのは、古くからの習わしみたいなものである。

 ただし、今回は非常事態だと見えて、その黒幕が動いているのが何となく見えるのが怖いところである。ある意味、今までの格差社会を築いてきた上流階級の地位を如何に守るかの戦いでもあるのかもしれない。その社会構造を変えかねないものの一つが原子力村という今巷で言われている緩い連帯をもった組織なのだろう。

 しかし、今回の大事故は、完全に原子力村の息の根を止めたかもしれない。今回の被害が長引けば長引くほど今回事故の記憶は国民からは消えてくれないだろう。

 普通だった人のうわさも何とやらで、過去のものにされてしまう話題が、今回の事故処理に係る年数が長すぎるため一向に消え去ることはない。

 自民党の石原幹事長は、「今の国民は集団ヒステリーを起こしている」という言葉は、一生懸命国民に対して情報操作しているのに一向に効果が表れないことへのいら立ちかもしれない。