10月開始

 曇り時々雨、東の空が切れているのでそこから朝日が差す。俗にいう天気雨の状態である。

 今日から10月が開始、その中で10月開始から規制が始まるものもある。

 その一つが、ユッケの表面処理である。これは今年の春ごろ起きた焼き肉チェーン店の食中毒事故をきっかけに作られた規制である。

 これが中々厳しい処理方法で、湯通ししたかたまり肉の表面を、表面から1cn程度そぎ落とし調理しなければならない。そのため手間と原価がこれまで以上に掛かる。

 この方法を厳密に守り提供するとすればそれなりの価格設定で提供しなければならず、安さが売りの焼き肉チェーンでは提供しにくいだろう。

 また表面から1cmそぎ落とされた無駄肉を何かの料理に利用できれば無駄が無くなるかもしれないが、それまでして提供する店があるかという問題だけだろう。

 自分は、1度食べたきりでその後、食していない。あの生肉の味は食欲をそそらないのが理由である。

 また、今日から東京都と沖縄県暴力団排除条例が施行される。これは何かと話題になったお笑い芸人の引退騒動から話が膨らみ、この条例の施行開始が切っ掛けだろうという話まで出た。

 暴力団と芸能人というと、戦後の興業の中心が暴力団で、地方のドサ回りが収入源であった演歌歌手などは、行く土地土地で挨拶に回ったという話である。

引用 サンスポ(http://www.sanspo.com/shakai/news/111001/sha1110010526013-n1.htm

 暴力団勢力の2割超が集中する東京都。新たな条例は

〔1〕暴力団に利益供与をした事業者に都公安委員会が勧告

〔2〕悪質な事業者名は公表

〔3〕再発防止命令に違反すれば罰則

-などと規定した。

 暴力団との断絶を促進するため、利益供与を自主申告した事業者には勧告を免除する条項を全国で初めて導入したほか、市民の暴力団排除活動を妨げる威迫や付きまとい行為に全国で唯一罰則を設けた

早速、このような記事が出た

引用 サンスポ(http://www.sanspo.com/fight/news/111001/fgb1110010503003-n1.htm

亀田プロモーション取材応答なし/BOX

 10月1日の東京都暴力団排除条例の施行を前に、プロボクシング界で新たな不祥事が30日、発覚した。亀田ジムの主催で8月31日に東京・日本武道館で行われたダブル世界タイトル戦のリングサイドで、指定暴力団員が観戦していたことを警視庁が確認。財団法人日本ボクシングコミッションJBC)を通じ、亀田ジムに厳重注意を行った。タレントの島田紳助さん(55)の引退、中央競馬元調教師の河野通文さん(61)の免許剥奪に続き、激震が襲った。

 こういったプロ格闘技も常に暴力団の影が付きまとう。こういったプロ選手を育てることが一種のステータスシンボルに暴力団の中ではなっているらしい。更にその勝敗を、賭け事の対象にしているらしいという噂もある。

 スポーツ競技は、愛着を持つとその勝敗に一喜一憂するものである。格闘技となれば尚更で、見ているんのが身内、関係者であればその思い入れは確かに違うものである。

 その部分に暴力団の影が付きまとうのは灰色でもあるが、それにより選手が身を持ち崩したり、八百長試合とかが行われてしまうと、その他大勢の興奮が冷めてしまい、そのスポーツそのものの魅力を急激に失わせてしまう結果になる。

 できる限り、それを排除していかなければスポーツとして成り立たない。それでなければ見世物と同じである。純粋にスポーツとしての魅力を維持しようとするならばである。

 その例の代表が大相撲である。八百長が噂され、週刊誌がキャンペーンを張っても相撲協会は、改革に乗り出そうとしなかった。改革をすることが八百長を認めることになるからである。そのため、八百長が有ったとしても協会が認めなければ八百長でないならば、それが実際に行われていても罰せられることは無い。それが更に八百長体質を深める結果になった。

 秋場所が先週まで行われていたが、結果を聞いても何の興奮も得られないものになってしまった。その取り組みの中でその何割が見世物じみたやり取りで勝敗が決まっていたら、その優勝という言葉に何の価値が有ろう。

 いまだに新聞は、その日の勝ち星を記事にしているが、その星取表に何の意味があるのだろうか、という気持ちを見ているものに思わせる。それは、一度八百長暴力団というものに影響を及ぼされたスポーツとしての価値の失墜でしかない。

 スポーツの試合は、どうしても賭け事の対象となりやすい。その勝敗を、何らかの力で制御したいと思うのはそれに係る人間の性であろう。

 お隣のKリーグでも八百長問題が有ったように、八百長が難しいと思われるスポーツでも、公然と行われてしまう。しかし、それがバレルことで失うものの大きさは多大である。

 できることならスポーツは、そういったダークサイドに引き込まれないようにしっかりと社会は監視するべきだろうと思う。