格差社会

 晴れ、しかし空に薄い霞がかった雲が広がり晴天ではない。気温も5度程度だろうかすっかり朝晩は寒くなってしまった。

 
 日本の歴史をたどってみても明らかなのは、社会は必ず腐敗する。それは権力を持った人間はその力を使い自分たちの都合の良い社会を作ろうとするからである。それは、巨木がいつの間にか小さな虫に蝕まれその外側とは別に幹が空洞化している状態に似ている。

 卑弥呼が日本に邪馬台国を作ったことが日本の建国の始まりだとしたら、それから1700年余り経ち、幾多の国家が存亡を繰り返してきた。

 その間、戦が起こり、遷都を繰り返し、今までのしがらみを解消し、時の権力者が生きながらえるように制度を作り上げてきた。

 そういった制度の改変は、社会構造をダイナミックに作り替えることに成功し、今まで権力を我が物顔に振るっていた階級を地に引きずりおろし、今まで冷遇された人間が主流になる社会を作り上げてきた。

 それは、単なる権力者の交代であり、全ての人間が平等に豊かな社会を作るための仕組みではなかった。

 そして第2次世界大戦が終わり今の現代社会が始まったわけである。まだ戦後から一世紀を経過していないにもかかわらず、徐々に権力を持つもの持たないものの線引きがまたもや復活しており、目のあたりにしない場所で出来上がってきていたのである。

 その一つが現れた切っ掛けの一つが福島原発の事故であったのである。しかし、少しづつ露わになったその裏の権力構造も、いつの間にか衣をまといまた見えないところに隠れようとしているのは、傍から見ていても恐怖を覚える。

 人間は、先の将来に禍根を残すようなことでも見て見ぬふりができる生き物であるという事が良くわかる。

 本来なら、ここで大きな変革が起きるはずであった。それが起きなかったのも、2年前に民主党が政権を取るというガス抜きが有ったからである。

 それまでの表向き自民党が担ってきた権力構造の構築を打破するため、民主党が政権に着いたのである。それは、民衆がそれまでに築かれた権力構造を少しでも変えてくれることを望んだからである。

 しかし、結果的には民主党もその陰の権力構造に飲み込まれてしまったように思える。あるいは、それも仕組まれた芝居の一つで、民衆が感じる閉塞感を何らかの方法で吐き出させる巧妙な罠であったのかもしれない。
 
 それは明確な誰かが糸を引っ張るではなく、その権力構造の安全機構が自動的に働いた結果だろう。

 少なくとも一時的に既成の権力構造にとって混乱をもたらしたかもしれないが、それも水面に起きた小さな漣であった。そして続いて起きた今回の災害がやはり日本社会の構造をあぶりだしたのだ。

 それも今は徐々に幕引きが図られ、その権力の一端だった東京電力の責任問題もうやむやに終わりになるだろう。それ程、作られた権力のネットワークの力は強大なのである。

 そして庶民は、何事があろうとまた見て見ぬふりの日常の生活に戻るのだろう。

 

 しかし、一つ注意してみなければならないことの一つに、アメリカで発生した、インターネットを発生源としたデモであろう。何らかの不満を持った人間が、ネットという空間を共有して集まりそれが一つになったという事である。
 これの由来はエジプトなどの北アフリカでの出来事ではある。

 その動きが、国家が独裁化していない国でも起こるという事は、日本でもそういったことが起こりうるという事である。もしこのまま、地縁血縁に代表される支配構造が打破されない限り、何時か日本でも起こりうるのかもしれない。