借金

 曇り、朝方は15度くらい、少し風が吹いてきた。これでも日中は晴れるらしい。

 

 日本が右肩上がりに成長をし続けてきた付けが今回ってきたというところである。だからバブル期に人生の絶頂期を迎え、老後も悠々自適な生活を続けている老人たちが一番幸せで、更に一握りの金持ちになった人の恵を受けるその子供たちや孫たちが2番目に幸せだろう。ここでいう幸せは、お金の苦労を知らなくて良いという幸せである。人生で幸せかどうかは知ったことではない。

 その右肩上がりにお金をそこらじゅうにばら撒き、人をお金で操ってきた反動が次々と明らかに成る。

 本来なら、生活保護などの問題は、見ぬふりをされてきた問題である。しかし、世の中の公平性を求める国民は、他から恩恵を受けられないと知ると、自分がその底辺になることを怖れるようになってきたわけである。

 それは自分が他より少しでも有利な計らいを受けることを望むことに他ならないのである。その少しの計らいは、国が豊かであったことで得られてきたもので、その前提が崩れる様としている今、その土台を崩しかねないことには、ものすごく神経質になってきたのである。

 本来なら、生活保護に使われる金額は、国が豊かであれば問題ない金額に違いない。しかし、その些細なことに目くじらを立てることで精神の安定を得ようとしているのである。

 それが、ある意味国民の目をそらすために使われているのである。例えば、今回の福島の原発を環境に影響のないレベルに復帰させるために使われるお金は、生活保護に掛かる費用などと比べれば問題ないものである。

 更に、これから必要となる公共施設、道路、橋の維持費と比べれば更に途方に暮れるレベルとなる。

 

 それが全て国民一人あたりの負担となって跳ね返ってくる。


 更に重要なのは、医療費の問題である。日本人の寿命が延びれば延びるほど医療費は巨額になってくる。例えば全ての人が、病気を治療するために移植医療を行うようになれば、その額は、今の健康保険では賄いきれないものとなる。

 その移植医療を受けられる受けられないの線引きは、非常に難しい。だれがそれを受けるのかを平等に決めるのか、誰も決められない。

 そして、ますます医学は進歩を続ければ、移植医療は、人の寿命を永らえる最善の治療方法である。

    • 究極の治療方法は、首から上を残し、首から下を健康な体に取り換えること(移植と言えるのだろうか)が出来れば、脳細胞が生きながらえれば永遠の寿命を得ることになる--

 このままの状況ではそれが現実となる日も近い。

 少し、話は横道にそれてしまったが、これから生まれる日本人は、その時代を作って来た人間たちの後始末をする役割を担わせられるわけである。

 自分たちがこしらえた借金では無いのにその借金を返すために働き、更に、その世代を養う役割を背負わされるのである。

 この先何が起きるか判らない。それだけは覚悟しておいた方が良いのだろう。