竹島問題

 雨、気温は20度くらい、じめっとしている。昨日は、天気が良くて入道雲を久しぶりに見た気がする。それなのに、今日は雨と、この時期の天気は変わりやすい。


 韓国の、竹島問題。きっと日本人の大部分は、韓国が領土を声高に主張しなければその島の存在など忘れていただろう。しかし、北方領土と同じように、国の領土問題は、国の主権問題である。

 自分の国の領土をめぐる争いは、常に国と国同志の紛争の種となる。それを平和的に解決するということを声高に唱えている人たちがいるが、そうならないのが現実である。

 戦後、日本は戦争放棄憲法でうたい、義務教育で徹底的に教えられてきた。世界平和を追い求めるには、争いを放棄するしかない、世界の国々がその理想を理解してくれれば、世界から争いが無くなると。

 しかし、現実問題、争いは無くならず、相手の実力行使に対して弱腰であれば、自分の権利を奪われる。そしてその現実を、子供たちは、いじめや教師の横暴などで、理想との違いを思い知らされる。

 現実問題、自分の家の庭先の一部を隣人が勝手に立ち入り物置を作ってしまったようなものである。話し合いで解決しようとしても、自分のものだと主張してこちらの言う事を聞くことは無い。

 警察は、お互いに話し合えと取り合ってくれない。その状態で60年も時間が過ぎ去ってしまった。

 では、どうしたらこの問題を解決できるだろうか?話し合いをしようにも一国の大統領がその良識を持ち合わせていないとしたら。

 もし武力で争わないとしたら、経済的協力からきちんと話し合いを求めるべきだろう。もし、きちんと紛争解決の努力をしなければ、これからの両国関係は、無いという事を知らせるべきである。

 そうしなければ、自国の独立心は失われ、国としての機能を失いかねない。それは、まさしく日本という国の存在をも否定することにつながる。


 しかし、その中できちんと押さえておかなければならないことが一つある。同じような言葉を使う日本人の中に、扇動者が隠れているという事である。

 国内の世論を混乱させることで自分の利益を得ようとする人たちである。それは、自分の利益のためには日本の将来など気にしない人間である。

 それに踊らされ、本来すべきことを見失わせることこそ気を付けなければならない。言葉を道具として操る人間は、時として多くの人間の命を物のように考える。

 そして自分は、その言葉と裏腹に責任を取ることは決してしない。今回の、騒動は、そういった人間を見分けるための試金石でもある。人間は、騙されやすい。