青空に思う

 晴れ、快晴である。朝の6時で19度と気温は低いが、これも夜中に降った雨の影響だろう。このままでいくと日中は、30度を超えそうである。


 世間は、今、お盆休みである。色んなところが休業している。何時もの朝なら、通勤の人が通り過ぎる駅前の通りも今朝は、人影を見かけない。

 何時も行きかう車の数も、10分の1程度に落ちている。平和ではある。

 しかし、近代的なビル群の中を車が走らず、そこに人の気配が無い光景は、これが数十年後の日本の姿であるという考えを浮かばさせる。それは、SF映画で見たゴーストタウンのイメージなのかもしれない。

 やはりこの夏の青空の風景は、農村地帯の景色が一番似合う。それこそ日本である。

 そうはいっても、北海道の北や東の町や村は、立ち並ぶ家並みがどんどん減っている。交通量の多い所には、大きな新しい建物が建っていたりするが、そこから離れると、何km毎に家が建っている状況である。

 もし、北海道の姿をこのまま維持しようとするなら、農業立国しかないだろう。それには、昔ながらの農家にそれを任せることは、難しい。農協という組織は有るが、その組織が巨大化したために、本来の農家と協同して農業を育てるという役割よりも、巨大化した自分たちの組織を如何に守るかに組織がシフトし始めてしまっている。

 北海道の農業を健全化させるためにも、昔、社会科で習った、ソビエトのソホーズ、コルホーズ的な、あたらしい集団的農業体制を取り入れるしか無いだろう。

 そこに、株式会社などの資本がある程度流入するのは仕方が無い。現に、今の北海道には、会社経営の委託という名目で農場が出来始めている。

 ただそれだとどうしても、農家が下請けになってしまう。そうでは無く、農業生産物を商品として色々な企業に売り込める足腰の強い農業経営体をいたるところに作る支援をしていかなければならない。

 今は、小麦の刈入れが始まっており、金色に光る小麦畑を大きなコンバインが走り回っている。昔なら、人間が手作業で何日も掛けて行っていた作業が、瞬く間に終わってしまう時代である。

 その姿が、余りにも機械的で無機質な感覚を覚えさせるが、それが新しい農業なのである。世代が変われば、手作業で行う農家の仕事を知らない農民に置き換わる。