双葉町の事

 晴れ、気温はマイナス10度を下回った。


引用 河北新報社http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/20130124t61023.htm) 

福島県双葉町の井戸川克隆町長(66)が23日、町議会事務局に辞表を提出した。福島第1原発事故対応をめぐり、町議会の不信任決議を受け、議会を解散。20日から体調不良を理由に入院していた。地方自治法に基づき、2月12日に辞職する。

 福島県双葉町には、福島第一原子力発電所の5,6号機(今回原発事故の有った1から4号機は、隣町の大熊町)がある場所である。当然事故の有った原子力発電所の近くにあるため緊急避難地域に指定されその後立ち入り禁止区域に指定されている。

 現在の役場は、埼玉県に有り、更に双葉町から避難した町民がそれぞれの避難先でグループを作り町民として活動しているようだ。ネットで調べるとそのような状況らしい。

 自分たちが以前住んでいた土地には、当分戻れない状況で、町政を維持するのは大変な事だと思われる。また、町民が一か所に固まって存在すればまだしも、離れ離れになっていれば尚の事一体感は生まれにくい。

 その中で起きた、町長不信任案、議会解散、町議会選挙を予定した最中にその解散を請求した町長が辞職するという事は、相当である。普通なら、最初に辞職して信を問うか、議会を解散したならその結果を待って辞職というのが筋道である。

 ただ、今回解散した町議会の町議への立候補者が前職だけなら、すんなり無投票で当選となってしまい、解散の意味を無くす。それなら、町長派の立候補者を探す手立てが有ったろうが、地元に人が居なければそれもできなかったのだろう。

 結果的に町長の一人芝居という事になり、周りが振り回された格好になった。

 そこで考えるのは、長の責任というものについてである。長と名が付く者の下には、少なからず下がいる。それは、日本国民を預かる日本最大の長は首相から、その下は、班長と呼ばれるような人まで様々であるが、一端長となれば何らかの責任が付く。

 その長の最大の守らなければならないことは、責任感はもちろんの事、決めたことを簡単に翻さないという事だろう。周りが色々な事を囁いてくるが、それに対して自分の意思をきちんと持って物事に最後まで対処することが必要である。いう事が毎日毎日くるくる変わっては、下のものが右往左往するし、上の顔色を伺うだけで何も新しいことを提案することもしなくなる。

 もし自分がその役割を果たせないと思うなら、長という立場になるべきではないだろう。日本は、長い間年功序列で物事が進んできて、長になるべきでない人が長になっている場合も往々にある。

 その間下の者は、それに不満が有れば辞めざる負えない。そうして組織が崩壊し立て直されるのを待つしかない。まさしく他力本願である。

 この先、双葉町に住民が戻れる時期は不透明である。健康被害を考えなければ今でも住むことは可能である。何故なら、そこに数時間居たら、直ぐに死んでしまう線量があるわけではないからである。もし影響が出るとしても、10年から15年程度経ってから影響が表れてくる線量である。

 そういう意味で、5,60歳代の町民なら戻ることも可能ではないだろうか?もし、双葉町という町をこの先も残したいと思うならそうすべきだろう。もし、100年後に全ての住民が戻れるようになったとしても、その時には、双葉町で生まれ育った住民は存在しないことになるからである。そうしなければ、双葉町が有ったという歴史も途絶えてしまう事になってしまうだろう。

 暴論の類と言われれば素直に認めるしかない。

 今回の騒動で、長の責任論、そして福島県双葉町が存在するという事を知らしめたことは大きいだろう。ただ、この先も双葉町の住民として一致団結する理由をどこに求めるか、その部分を明らかにしていく必要は有るだろう。