女子柔道

 曇り、気温はマイナス5度くらい。少し寒さも和らいできた。今朝の天気予報では、週末は雨と大荒れらしい。


引用 スポニチhttp://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/31/kiji/K20130131005096280.html) 

ロンドン五輪柔道女子代表の園田隆二監督(39)ら指導者が五輪代表選手ら15人にパワーハラスメントを告発された問題で、全日本柔道連盟全柔連)は30日に会見。事実を認めたうえで監督らを書面による戒告処分とし今後も続投させることを発表した。しかし、昨年末には日本オリンピック委員会(JOC)に指導陣の一掃を求めるメールも同じ15人の連名で届いていたことも新たに発覚。全柔連上村春樹会長(61)は選手の聴取に前向きな姿勢を示し、内容によっては指導陣を更迭する可能性も示唆した。

 桜宮高校の問題が下火になったところで、また体罰、シゴキの話が出てきた。

 柔道などの日本代表の監督などは、選手が所属の企業チームから送り出されてくるため、直接のしごきや体罰などはしないと思っていたがそうでは無いようである。

 

 自分がどうしてそうしないと単純に考えていたかというと、暴力等で選手が怪我をした場合、日本代表監督が選手の将来への補償ができないからである。もし選手生命を絶ってしまったらどう考えても日本柔道は終わってしまうからである。

 日本代表というスペシャルな立場でも、監督に対してモノが言えないのだとしたら、一流としての立場が無い。そうだとしたら日本のアスリートでモノが言える立場の人間は、一人もいないのでは無いかと思う。

 柔道は、加納治五郎が創始者である。その時代の人間ではないため、治五郎自身、後輩をどのように育てたかは定かではない。昔から体罰が有ったのかもしれないしそうではないのかもしれない。

 スポーツは、どうしても指導するもの指導されるものといった師弟関係が生まれる。会社組織でもあるがその仕組みはスポーツとは比較にならないほど弱いだろう。

 一流を育てるために寝食を共にする程、密接になる場合もある。それは親子の関係よりも濃い場合もある。その時点で心理的に依存症関係にあると言って良い。それは、まさしく洗脳にも近い状態で、お互いに依存関係にあるという状態になる。

 

 しかし、そうならないまでの関係では、どうしても種の保存という人間の性が顔を出す。それは群れの中のボスを決める争いである。人間、同じ種目という狭い世界で集まるとお互いそれにそった品定めを始める。それは群れの中で順位を決める行動に他ならない。そういった環境の中で、監督と言われる指導者はサル山のボス状態になる。群れを暴力で押さえることを選んだボスは、一貫してその暴力を肯定しなければならない。弱みを見せることでボスの座から追われるからである。

 それは、勝利至上主義の世界に於いて、勝つことが自分の地位を上げ、実績だけがモノを言う世界になる。それは、人を育てるという観点から少し道をそれることになる。自分が育てる選手は、一過性の駒のような存在である。自分の実績を伸ばすために利用する。その中で飛びぬけて優秀な選手は、自分の将来の糧になる。そう言った選手は特別扱いになる。また、サル山のボスとして君臨するには、やはり自分の言いなりになる手下が必要である。汚いことはその部下に任せておけば、自分の評価を下げるようなことが起きたとしても、トカゲの尻尾切のようにできるからである。

 その伝統が脈々と生きて築かれたのが今のスポーツ界と言って良い。全てがその原理に倣い上を見て下が育つ。その仕組みは、恐ろしいことに上は日本代表レベルから下は田舎町のスポーツクラブまでとピラミッド状に出来上がっている。それは伝統的な組織程根強い。

 今回、女子柔道代表の園田監督がやり玉に挙がっているが、スポーツ界の指導者を精査すれば八割方心当たりのある人間ばかりだろう。

 もしこれを直すとしたら、まず組織を解体することが必要である。一度解体し新たに組織替えすると当分そういった事態は起こりにくくなる。そしてしばらくするとまた同じような状態に必ずなる。そしてまた解体という繰り返しを行うしかないのだと思う。そうして漸く新しい指導者が生まれてくるはずである。

 予言になるが、きっとまたどこかで似たようなことが必ず起こるはずである。