震災裁判

 晴れ、朝の6時前の気温は9度とついに10度を下回った。さすがに寒さを感じる気温である。秋が真上にやってきたような気持である。

引用 読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130917-OYT1T00294.htm?from=navr

 東日本大震災で、宮城県石巻市の私立「日和(ひより)幼稚園」の送迎バスが津波に巻き込まれた事故を巡り、死亡した園児4人の両親が園側を相手取り、2億6689万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、仙台地裁であった。

 斉木教朗(のりお)裁判長は「元園長が情報収集義務を怠った結果、高台から海側にバスを出発させ、津波被災を招いた。安全配慮義務違反による損害賠償責任がある」として、1億7664万円の支払いを命じた。大きな揺れが約3分続いたことなどから「津波は容易に予見できた」と判断した。

 本当にこれは大変な判決である。亡くなられた子供の遺族と幼稚園、この判決が下されてお互いが幸せを掴めるかというと掴むことはできない。そういう意味でこの裁判は、不幸しか結末は有りえないと感じる。

 1000年に1度の災害に会い、地震後、津波発生までの30分間でどのような判断を下せるか、そういった訓練を日頃行っているならいざ知らず、津波の被害の恐ろしさを実体験していなく、多くの津波被害に会われた住民の方同様、内陸の近くまで津波が押し寄せてくるとは感覚的に理解できなかったのだと思う。

 津波被害に関して言えば、今回の津波の予想では5メートル程度だったと記憶している。NHKの放送局もそういった情報を流していた。海から2,3km離れ、家屋や建物が密集している土地で、その被害に会う事を想像できた人は、常日頃、注意深く行動している人だったに違いない。その生死を分けたものは、危機感覚の違いだったと思う。

 今回の争点は、その危機察知能力を持つ人がいて、きちんと行動できたかが争われたと思う。経営者、或いは、園長がその能力を充分に持たなかったため今回の事は起きたわけである。

 では、果たして人間の能力にそこまでを求めるべきであるかという点が問題になる。例えば、明らかに燃えている建物中に飛び込むのなら明らかに過失である。では、まだ燃えていない建物に逃げ込むのは、その建物の中でガスが充満している可能性がある危険性を察知して逃げ込むべきでは無いと考えられる人がどれだけいるだろうか。

 土砂降りの雨が降ってくれば、その危険性を感じずに逃げ込む人はある程度いるだろう。

 

 改めて言えば、今回の件、幼稚園に預かっていた子供を早く両親の元に返したいという判断は、間違っていた。地震直後では無く、余震の危険性があるのだから状況を見極めて行動すべきで、その行動を起こす時間が早すぎたのは、間違いない。

 ただし、心情的には、そういった間違った判断をする管理職の存在を知っているために、そういう事は起きるし、それを止められる体制が有ったかが問われるのだと思う。そういう意味で、大災害時に間違った判断を往々にしてしまうことはあり、福島の事故で東京電力の元社長が、予見できなかった大災害の為、不起訴になったことを考えると、権力者は守られているのだなと感じてしまう。