組織とは?

 晴れ、朝の気温が14度と一昨日と比べれば急上昇である。風が気持ち良い。

 昨日書いた徳洲会の件であるが、新聞の記事によると、今回選挙違反の容疑が掛けられている徳田毅議員の父親である徳田虎雄さんや親族は、彼を総理大臣にしたかったようである。そのために選挙に勝つと同時に、政治資金を集め徳田派を作りたかったようである。

 きっと父親が成し遂げられなかった夢を息子が実現することを願っていた。傍目から見ればまさしく親馬鹿である。その実現のため、徳洲会グループの職員がかき集められ動かされていたわけである。

 宗教も同じであるが、自分たちの掲げる理想が正しいと信じ込む余りに、法律を犯すことを気にしなくなる。その極端な例があのオウム事件である。そして、それを手足となって実行するのは、末端の信者である。その上に立つ教祖は指示は出すが実際に動くことは無い。それに対して、信者は教祖のいった事を盲信し、疑う事は無い。

 本来なら宗教は、欲を捨て去ることから解脱の準備をする。しかし、事件を起こす宗教家、教祖と言える人は、信者の欲を利用する。そしてその信者たちの欲を操って自分の欲を満たすようになる。それは、宗教とかけ離れた邪鬼の如くである。

 徳洲会のホームページに書かれている徳田虎雄さんの言葉「命だけは平等だ」の元、徳洲会グループは作り上げられてきた。その医療への功績は大きいだろう。その命を守るために職員は誠心誠意努力してここまで大きな組織を作ってきた。

 そして、今回の件は、自分たちで政治を変えることで医療環境を代えて行こうという気持ちの表れだろうが、それを実現するためには、少々の法令違反には目を瞑るというところに逸脱が有ったと言える。

 組織が強大化する途上で、お金が付いて回る。そのお金を得るために色々なところと係りが生まれ、そして組織が大きくなればなるほど色々なところに軋みが生まれてくる。組織が強大化すれば巨大化する程カリスマを必要とするが、そのカリスマが動けなくなった時に組織の弱体化が始まる。その弱体化を阻止することは誰もできない。

 

 これは徳洲会グループの事ではないが、弱体化した組織を立て直すには、リビルドが必ず必要になって来る。腐った患部を取り除き、新しく組織の再生を求めるのである。外科手術と同じである。それは本体が元気であれば元気なほど良い。再生のスピードが違うからである。

 本体が衰え、再生能力が欠如していれば、その組織の再生は無い。まさしく腐って行くばかりである。その時期を判断できるのは、本来ならトップの役割であるが、往々にしてその役割を担える人間がおいそれといるとは限らない。

 そして、その判断の遅れから、手遅れに成り組織は崩壊する。それはものの見事というしかない。