晴れ、気温はマイナス6度くらい。
オリンピックも今週で終わる。昨日カーリングが終わり、自分的にはもうオリンピックは終わった。話題の女子フィギアがあるが、それも余りにも興味が沸かない。冬季オリンピック自体が終わりの時期を迎えたのかもしれないと思う。
話は変わる。人間は誰しも年を取ればそれなりに大人になって行くものだと思っていた。それは、自分が小さいころ見てきた人間が全て今思えば大人だったからかもしれない。
戦争が終わり、それなりにお金持ちも貧乏な人もそれなりに平等に生きるための術を学んできた。それについては貧富の差は無かっただろう。
しかし、戦後が遥か彼方の事となり、日本人の殆どが戦争を知らない世代になり、ある意味純粋培養されたような人間が増えてきた。
やはり人間が大人になるには、それなりの試練が必要であり、それを一つずつ越えながら年輪のように子供の心の上に大人になるための殻を纏ってきたと思う。
決してそれなしでは、大人になることは無いし、年をいくら重ねても、その年輪のような大人という殻が少なければ少ないほどその下にある子供の心が表に出てきてしまう。
一見体は大人でも、何かの拍子に子供じみた行動を取る人がいるのはそのせいなのだと思う。ただし、その殻は幾ら厚くても何かの拍子に子供に成ることは誰にでもある。
この世の中に、大人になり切れていない子供がどれだけいるだろう。そういった人間を社会は育ててくる環境を作ってきたのだろう。
ここで子供の心は、言い換えれば人間の野生本能とも言える。人を殺したり、物を壊したりする心は、子供の心である。だから、いくら大人に見えても子供の心をのぞかせてしまえば、それが発露して暴力的に成ったりするのだろう。
そういう風に、人間を観察することで、徐々に人間の本性を見透かせるようになる。どこにその人間の弱い所があるのか、そして自分の中にあるその子供の心が出てくる瞬間を察知できるようになる。
それは、野生の心を解き放たないための抑止力にもなる。