権力構造

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 4月は、新年度に変わるとともに消費税が8%になる。更に来年十月には10%になる。これは8%に上げた際の影響を見ながら10%に上げると政府は行っているが、どのような事態に成ろうとも10%に上がることは間違いないようである。

 もし、自民党政権が下野して政権が他の政党に変わろうともそれは無いらしい。それ位、この消費税に官僚側は既定路線として考えている。

 小泉政権の際、国家公務員の削減が言われ、官僚の力を削ぎ落とし、官から政へと政策決定権を移行を進めようとした。その後の民主党政権もそれに同調していたはずなのに、政権の力が弱まると同時に政策を官僚に丸投げするようになった。事業仕訳も始めた当時は華々しかったが、時が経つにまた復活するという離れ業を官僚に見せつけられ、そのしぶとさはさすがだと思わせた。

 今回の消費税増税も、見かけ上は社会保障の財源と言われているが、表に出ないだけでそれと同時に官僚の身分保障が袈裟の衣のように表裏一体となっている。

 官僚の仕事、評価は、如何に予算を使う事業を編み出し、それを実行することでついてくる。その際、自分たちの組織を守るため必ず再就職先の行政法人や企業を絡めてくる。それが自分たちの組織を生きながらえさせるコツだと本能的に理解しているのである。

 今回の消費税増税は、社会保障に使われるのだが、その中の幾らかは自動的にそういった分野に流れて行く。江戸時代の年貢のようなものである。

 確かにそういった保証が無ければ、官僚も実力を発揮しようとしないだろうし、官僚に成ろうとする人間も枯渇する。日本が、官僚が政策決定するというのなら、仕組みとしてそうならざる負えないというは誰でも気づくところである。まさしく社会を構成するための必要悪みたいなものである。

 しかし、そういった必要悪も長い歳月が、善意を悪意に変えていく。それが人間というものである。既得権益は手放さず、それをさらに増やそうとするのも人間の性であり、それが組織を腐食させていく。

 日本では、そのたびに戦争が起こり、その時の権力者たちを引き摺り下ろし、別な権力者がまた新しい仕組みを考えるという事を繰り返してきたのである。もし、江戸時代の制度が正しければきっと討幕運動は起こらなかった筈なのに、江戸幕府は終わりを告げた。その理由は、そういった組織から弾かれたもの、利益を得られないものが集まり、自分たちの思い通りの組織に作り替えようとするエネルギーであった。

 今の日本の官僚組織は、明治時代から始まった。それが1868年だから既に150年ほど経った事に成る。江戸時代が200年程続いたのだから、今の組織形態も後50年ほど経過すれば新しいものに生まれ変わる可能性がある。それが内圧なのか外圧なのかは判らないが人間の歴史というのは得てしてそんなものである。

 それまでの間、既得権益層は、手を変え品を変えて自分たちの築いてきた権力構造を守ろうとするだろう。守ろうとすればする程、結果的に負の反動を増すことに成る。そのエネルギーを緩和させる方法を自ら作り出さなければ自分たちを守れないと判っていても、その既得権益層が、緩い連帯意識で成り立つ所が意思統一を阻むことに成る。

 それは、格差社会に怒りを持つ層も同様であり、中々組織化されにくいのだが、既得権益層よりは組織化されやすいという事である。

 それに関してだが、今日は地下鉄サリン事件から19年目という事であるが、社会に不満を持った勢力がそういった結社(宗教団体)を作り自分たちの世界を持とうと考えることは当然であるし、今までの日本でも度々起きてきたことである。

 そう考えると権力は亡びるために自分たちの組織を作り上げるものだという事が判ってしまえば、そもそも最初から権力を持つことの理不尽さ、自分たちの組織は何時かは滅びると考えることの無力さを感じずにはいられない。