渡り鳥

 晴れ、気温はマイナス1度。日中は暖かくなるらしい。


 既に周りの景色は、枯れ草色から緑色に変化しようとしている。先週からの寒さがその歩みを踏み留めていたが、何も無かった枝にも芽吹くためのつぼみが膨らんできているのが判る。

 緋連雀の群れが上空を飛び交い、北へ向かおうとしている。去年の秋に渡りの休憩に訪れて以来のことである。毎年のことながら鳥はその習性を変えようとしない。

 それは本当に凄いことである。もしかしたら北に向かってもなにも良いことが無いかもしれないのに、そこにまた自分たちの楽園があると信じて向かうのだろう。

 

 あるいはそんなことは微塵も思わず人でいえば気の赴くままに旅経つのだろう。それは、新しい未来への挑戦でもあるのかもしれない。

 人は、渡り鳥の様な生活をする人たちもいるが、日本人の多くは農耕が生きる糧を生産する仕組みというのを受け入れて定住するのが習慣となっている。

 しかし、その習慣も農村での働き口が無かったり、文明の発展からそれを許さない環境が徐々に広がり始め、日本の中を移動することも多くなってきた。

 地に足のつかない生活が主流になれば、国という概念が薄れ始めるきっかけにもなるだろう。渡り鳥が自分たちの居住地を持たないのと同じである。

 さて日本ではそれが主流になることはあるのであろうか。