お金と老後

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 人は年を取ると保守化するというのは本当だと思う。その一つの要因は、今まで築き上げた自分の地位や名誉を守る仕組みを崩壊させたくないからである。

 

 年を取った人間が思うのは、自分たちの老後である。少しでも健康で長生きしたい。生きている間は、隣近所や知人から落ちぶれたと思われたくない暮らしを続けたい。そういった欲が出てくる。

 

 そのような考えは若いころから持っているものなのだが、それ以外の欲に覆われているためあまり目立たないだけで、年を取るにつれ他の欲望、例えば色欲とか所有欲というものが薄れ始め、そういったものに集中してしまうためでもある。

 だからある程度人の暮らしが良くなった社会では、他の人より長生きしたいという欲望が強くなり、死なないための方法が研究されてきた。だから人間はそういった社会では死ななくなり、更にお金を持った人間はいつ来るか判らない死を待つ間の期間どれだけのお金が必要か判らないので必要以上にお金を貯めることに執着してしまう。

 日本が高齢化社会を迎えるとそういった無駄なお金を持った人間が増え始める。ある程度の割合で自分の死までの期間では使いきれないほどのお金を蓄えてしまう。それを有効に社会に役立てれば良いのに、無駄に家族にその蓄えを残そうとする。それは家族愛の結果であると思うが、その行為が必ずしも役に立つ結果を生む事にはつながらない。

 お金に死に金と生き金があるように、遺産と言うものは、家族と言う限定的範囲でしか使われず、それが上手く使われなければ当然死に金に成る。本来、その金を社会に上手く還元すれば生き金に成るはずなのに相続と言う手続きでお金は細分化され有効に使える金額を満たさなくなる。

 確かにそれが消費財に回ることで社会には還元されるが、社会に利益を生み出さないモノに消費されてしまえば有効な手段とは言えない。

 だからといって上手く社会に還元でき有効に社会を良い方向に向かわさせるための資金として使われる決まった方法があるかと言えばそれが存在しないのが難点である。結局誰かの懐に仕舞い込まれるのでは元の木阿弥である。

 今のところ、そういったお金を有効に利用しようとするなら、そういったお金を持った人間が死ぬ前にきちんと使い道を指定するかそういった仕組みを作って亡くなるしかないのが現状で、それができないから遺産相続と言う仕組みが使われ続けているのだと思う。

 死に金を生み出さない方法、オレオレ詐欺などでアンダーグランドに流れて無益なものに消費されることを防ぐ仕組みを早く作らなければならないだろう。