平和国家日本

 曇り、気温は13度。昨日は暑くなるかと思いきやそうでもなかった。今日も午後から低気圧の影響で曇り、雨が降る可能性もある。なかなか良い天気にはならない。

引用 毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20170606/ddp/041/100/012000c

学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画を巡り、安倍晋三首相は5日の国会審議で「印象操作」という言葉を連発し、野党側の質問に正面から答えない場面が繰り返された。このところ、首相がこのフレーズを使う姿が目立ち、与党内からも批判の声が上がっている。

(中略)

むしろ安倍政権の方が印象操作しているのではないか」。自民党の閣僚経験者は首相らの答弁を疑問視する。「首相が加計学園獣医学部新設を旧民主党政権で検討していたと責任転嫁したり、菅義偉官房長官が前文科次官が出会い系バーに出入りしたことを非難し『だから信用できない』と印象付けたりしているのではないか。政権の品格が問われる」と指摘した。

 安倍首相が「印象操作」というフレーズを使うことを非難する記事がまさしく「印象操作」だと思うのは自分だけだろうか?この見出しにある「与党も疑問視」というのは、自民党の閣僚経験者の実名を明かさずこういっていると記事にするのも如何なものだろうか?実名を明かして記事にすべきだろうと思う。そうでなければ脚色しているともとられかねない手法である。

 今回の加計学園の問題、森元学園から引き続き続いているのだが、これで一番得しているのは民進党ではないのは間違いない。何故なら自分たちで反対している共謀罪の審議を途中で止めてしまっているからである。本来なら政党として反対すべき立場であるなら正々堂々と論戦を挑むべきである。この問題を繰り返し繰り返し報じても民進党の前身である民主党政権時代に自分たちが行ってきた立場を180度変える姿は、政権交代に相応しい2大政党制の片翼を担う立場にないと証明しているだけである。

 少なくとも共謀罪を成立させたくなければきちんとした対案を提案するか、共謀罪の重要な部分を骨抜きにすることのほうが大切だろう。

 そうして日本がこの問題でもめ続けることが、北朝鮮の核開発を進めさせることにつながることは間違いない。国会で議論すべきはさらなる北朝鮮制裁の強化である。その部分を議論させないことが今回の野党やマスコミの動きにリンクしているように見えて仕方がない。何故なら北朝鮮の挑発が始まった直ぐにこの問題の追及が始まり、国民世論の関心を薄れさせたからである。これが無ければ何度も続くミサイル発射実験による性能確認はできなかったのではないかと思う。

 もう一つあるのは、安倍政権が長期に続くことを懸念する中国、韓国の存在である。特に中国といって良いだろう。事実オーストラリアではこういったことが起きている。

引用 AFP(http://www.afpbb.com/articles/-/3131042

オーストラリアの2大政党が中国共産党とつながりをもつ富豪2人から約10年間にわたり巨額の献金を受け取っていたことが明らかになり、当局は6日までにスパイ関連法の検証と外国政府による国政介入の調査を命じた。

 5日に報じられた豪ABCなどの調査によると、同国の情報機関は2年前、政治家らに富豪2人からの献金に注意するよう警告していたものの、自由党労働党の双方が警告にもかかわらず多額の献金を受け取り続けていたことが明らかになった。

 献金していたのは不動産デベロッパーの黄向墨(Huang Xiangmo)氏と周沢栄(Chau Chak Wing)氏、あるいは両者の知人とされ、約10年間にわたる豪政党への献金額は670豪ドル(約5億5000万円)に上るという。周氏は豪州国籍保持者である一方、黄氏は帰化申請中だったものの豪情報機関トップによって手続きが停止されている。

 5日に報じられた調査によると豪情報機関は、中国政府が接近を試みるために政治献金制度を用い、諸機関に介入しているのではないかという大きな懸念を抱いているという

 オーストラリアも中国人に土地を爆買いされている国の一つである。その点で日本も中国人の土地を密かに購入されており、北海道でも問題になっている。

 しかし、日本人は考えが甘いのか、自分たちが気付かないあるいは気にならない部分は無関心で、誰も住んでいない土地が誰の所有になっても気にしていない。きっと大事になってから気付くのだろう。

 その点でいえば、日本もオーストラリアと同様、中国の情報機関が活動しているのは間違いなく、以前は機密情報を手に入れるため美人局が主流だったが、今では札束で相手を買収するようになってきている。日本の政党やマスコミにそういった金が流れているのは間違いない。そういう意味でも共謀罪の成立に反対したい勢力と同じ目的を持っているといえる。

 第2次世界大戦が終わった後、戦争が無く高度経済成長で平和を手にした国民は危機感を失った気がする。平和は大切なのだが、それを維持するために多くの国が緊張を強いられているのは事実である。時には他国の侵略を受ける可能性があったり、国内の反政府勢力が他国のテロ組織と通じ反乱を起こすことに怯えている。平和を維持するにはそれなりのコストが掛かるのである。

 何もせず自由だけが旗印で国を運営できたのも日本の周囲の国が弱小で武力を持って攻めてくる危険性が無いからであった。しかし、今では中国は巨大武力国家になったし、韓国も高度経済成長で軍事力を高めてきた。更に北朝鮮も核開発やミサイル発射実験を行えるようになってきた。日本が何もせずに平和を維持できる時代は終わり、他国との緊張を強いられる場面が今後も増えてくるのは必然である。

 

 そういった緊張が無いまま国を運営してきてしまったため何となく平和を唱えていれば問題ないという空気が国民に間年してしまったのだと思う。

 確かにこのまま何もせず平和を唱えていれば他国からの攻撃を受けないにに越したことは無い。誰も死なずにいればそんな幸せなことは無い。しかし、相手が死をも恐れずに攻撃することを実感していなさすぎなことは、実際そういった環境に陥った時今まで平和を唱えていた空気が一変することは間違いない。自分たちは死にたくないと唱えれば相手が攻撃の手を緩めてくれると思ったら大間違いだったと気付いてもそれは遅い。

 何時までもアメリカが助けてくれると思うのも間違いである。いざ有事になった時にアメリカが手助けしてくれなくて傍観者になる可能性すらあるのである。そういった場合どうするのか思考停止せず考えるべきなのである。