晴れ、気温は22度。少し空は靄が掛かったようになっている。今日も暑くなりそうである。この前の4日連続真夏日が125年ぶりというのだから、7月はまだ終わっていないけれどきっと真夏日の数も月半ばで記録になったのではないかと思う。
肉体的・精神的な不全をもたらす慢性的症状らの様々なグループ(障害者の分類)である[1]。発達障害はその個人の生活において様々な困難をもたらし、特に言語、移動、学習、セルフヘルプ、自立生活などでハンディとなるとされる。発達障害は子どもの発育期に発見されることが多く、その人の一生にわたって継続する障害である。
中略
2002年、文部科学省が調査したデータによれば、知能発達に遅れはないが、日常の学習や行動において、特別な配慮が必要とされる、「発達障害などの」児童が6.3%いることが判明した
と定義づけされている。
後半に上げられているように、相当数の発達障害を抱えている人が社会に出てきている。仕事もある程度こなし、付き合いもひどくないといった人たちは普通の生活を送れている訳である。
ただし、仕事となると余りよろしくないことになる場合が多い。それは障害の程度によるものと思われるが、軽いものの場合、仕事がきちんと最後までできないとうことが起きてくる。その場合、能力がない人間ということでレッテルが貼られてしまうのだが、そういった場合、どう指導していくかが問題となる。
本人が自覚しているならまだしも、自覚がない場合、君は発達障害だから仕事をしなくても良いということは無い。やはり職場においては通常の業務をこなしてもらう必要があるからである。できないからといって仕事をさせなければ本人の居場所がなくなるわけで、そういった指導をしてしまうと一種のリストラということになる。
上に上げたように程度が軽ければ、通常業務をこなせるわけで、更に頭脳も劣っている訳ではない。ただし、ある程度責任を持った業務を与えると嫌いなものは手を付けないということが起きるわけである。
やはりそこで見えてくるのは、責任のある立場に付けないことであるということに尽きる。しかし、ある一定の年齢を過ぎた時にそういった立場においてやることが可能かどうか大変難しい。
人間は生まれてから色々な人格を形成してくる。発達障害の病気は、重症でない程度のものは多くの人が持っているものだと思う。その程度の差で障害の程度があらわになってくるのだと思う。
そういたものは人間が抱える業のようなものであるだろう。それに真剣に向かいあうことも必要なものだが、正常というものの基準がない人間の性格で果たしてそのグレーの部分をはっきり区別することは不可能である。