労働

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 今日から色々な会社がお盆休み明けの営業を始めるようだ。最近の日本の企業は、休日が多くなり残業にも制限が付くようになった。高度成長期の頃と比べれば雲泥の差だろう。

 日本が世界から「ジャパンアズナンバーワン」と言われたころからモーレツ社員という言葉に対するパッシングが強くなった。それは、日本人に何かをやらせると極限まで能力を発揮するという恐れに似たものだったような気がする。

 そのくらいから、日本の祝日が徐々に増え始めたように感じる。日本人は祝日にしないと休まないということからだったはず。その後も、過労死なども問題になるなど、日本人の働き方に急激にブレーキが掛かり始め、土曜休みの完全週休2日制やフレックスタイムなど労働時間の短縮に力を注いできた。

 更に若いころから働きすぎの社員を作らないためにゆとり教育が導入され、適度に働き、適度に働くことが良いという風潮に変わり始めた。

 しかし、そういったことがバランスよく日本全体に行き渡ったかというとそうでもない。大企業と呼ばれる企業は労基からの監視が入り、政府も率先して仕事時間を減らすように働きかけを行うため仕事時間が減り始めたが、中小以下の企業は、大企業の利益の穴埋めのしわ寄せが行くようになり、給料が上がらないという弊害が出始め、労働時間が減れば仕事をする人間を増やす必要が出始めた。

 それが丁度人口減と相まって今では3Kと呼ばれる職場の働き手が不足する事態にたどり着いたわけである。その結果、日本の企業の競争力は減少し、新しい技術革新が生まれなくなりはじめ、この先大企業と言えども安定した経営をすることが徐々に難しくなり始めてきた。

 モーレツに働くことは人によって異なるものである。一律に規制する今の風潮はおかしい。何かを成し遂げるためにはモーレツにその仕事に集中する時が必要である。一日の仕事時間が決められており徹夜になることを制限されれば完成は遅れる時がある。

 言うなれば仕事に合わせた効率の良い働き方を制限する必要は無いと思われる。仕事がしたいと思う人は仕事を制限させる必要は無い。当然、人により仕事時間が規則正しく運用されることも認められるべきだろう。

 その辺りの塩梅というものがあり、そのケースごとに判断をするのが困難だから一律同じ働き方をするように規制するのはおかしいことだと思う。とはいっても、無理な仕事をさせる企業が後を絶たないためそういった規制方法しかないというのが現実なのだろう。

 一時期問題となった国会議員の企業なども、正常な労働と異常な労働を判断する人間がその企業の中に居なければ、人によっては異常な労働をせざる負えない環境に追い込まれることになる。その辺りの歯止めを用意せずに付いてこられるものだけ付いてこい、落ちこぼれる奴は無能という経営者では問題が起こるのは当たり前のことである。

 働きたいのに働けないというのが一番人間にとって不幸なことである。そういったミスマッチを防ぐ仕組みが必要なのだが、悪しき平等主義と年功序列的な仕組みがいまだに残っている日本の企業自体、この先の将来は暗い。能力を発揮できる環境で能力を発揮できることが出来る世の中はできるだろうか。