東京日和

 曇り、気温はマイナス10度.昨日は東京にいたのだが、気温は10度ほど.北海道の寒さと比べたら雲泥の差である.街行く人の防寒姿を見ると自分の薄着が特異的に見える.

 

 東京に行って初めて東京国立近代美術館に行ってみた.皇居周辺に行くのだけれど訪れたことは無く丁度周辺にいて時間が余っていたので寄ることにした. 

 特別展は、窓を題材にした作品のもので入口にチャップリンの映画が壁に映し出されていた.最初はあまり驚きは無かったのだけれど、丁度2階から階段で降りてくると入り口いっぱいに映し出される映像は面白かった.普通に入るとその仕掛けの面白さが判らず仕舞いだっただろう.

 後は、収蔵品の展示を見て回ったのだけれども、昔の図工や美術の教科書に載っていた作品が展示されていた.本物を見るのはある意味懐かしさと凄いという気持ちが入り混じったものだった.

 

 ここには、まだ多くの収蔵品が保管管理されているはずで色々な作品を見てみたかった.そして、時間も限られていたので駆け足で見て回った感じだった.

 

 東京にいると自分が日本にいるのだが異国にいる感じがするのは不思議である.その一つが、東京という街の中に普通に外国人が取り込まれていることである.普通に外国の方が日本語を喋り店で働いている.今回の宿泊したホテルも受け付けは外国の方だった.それが当たり前になっているので自分が日本にいるのかそれとも日本語が通じる外国にいるのか判らなくなるのだろう.

 

 東京という街は、外から見る景色はビルが立ち並ぶ無国籍の様相を示しているが中通りに一歩入れば昔からの日本を感じさせる建物が軒を並べている.ここは日本だと主張してくるのだけれど、実のところそこにも異国の人が生活し、自分の概念を破壊しようと企てる.ある意味映画のセットの街なのかもしれない.

 

 そして、行きと帰りの飛行機の中で文庫本を読んだ.西加奈子の「漁港の肉子ちゃん」という本である.この本は、新千歳空港の本屋の本棚でこちらに向かって正面を向き読んでくれと主張していたからであった.きっとこの本屋の店主あるいは書店員の意図があったのだろう.思わず手に取り買うことにした.何時もならその表紙の迫力に手を取ることもない本である.所謂、本との出会いというやつである.

 

 小説のあらすじは、読んでもらえれば判る.丁度読み終えそうな最後の方で自然と涙腺が崩壊し涙が流れ始めてしまったのには少し慌ててしまった.もし読み始めようとする人は、部屋の中で読む方が良いだろう.

 少しこの作者の本を読みたくなり2冊目を買ったのだが、まだ読み始めたばかりであれなのだが、出てくる登場人物は不思議の殻を纏っているようである.

 

 東京は、遊びできたわけではないので慌ただしく終わったが、たまに来ると街の様子が変わっているのが良くわかる.

 東京オリンピックが近付いているので余計そうなのかもしれないが、モノレール脇で建てられていたビルは立派に出来ており、更に高速道路も始まっている.作っては壊す繰り返しを見るたびに沸き上がるエネルギーの凄さに感心する.