ナンバーツーじゃだめなんです

 曇り、気温は13度.これで日中になれば25度を超える暑さになるというのだから天気は判らない.

 梅雨前線が北上し(太平洋高気圧の勢力が増す)、相対的に北にあるオホーツク海高気圧を押し上げ、寒い空気の元を遠ざける形になる.猛暑は困るが寒さもこたえるので穏やかな気温で推移して欲しいものである.

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 このニュースが流れると、Twitterでは「2位じゃだめですか」の蓮舫氏を揶揄するtweetが増える.確かにあの記憶は鮮明である.

 あの当時、民主党が政権を取り、颯爽と蓮舫氏が登場し政府の官僚を集めて民主党が何かをやりますという雰囲気を醸し出しながら切り捨てていくのは注目を集めた記憶である.

 ばっさばっさと切り捨てた割には、成果が上がらず、却って日本の成長を阻害したのではないかと思う.

 あの頃を境ではないが、バブル前にあった日本の技術力は一番であるという時期が、バブル崩壊とともに崩れ去り、何時しか日本の成長を止めるために様々な圧力が掛ったのも事実である.更にゆとり教育という子供たちをのびのび学習させようという流れも、あくせく働くのは悪だという流れを世の中に作り出した.

 確かに子供たちに幾ら詰め込み授業をした時の割合とゆとり教育でのびのび授業をやらせても落ちこぼれる割合が同じだとしたら、ガンガン勉強をさせて一部の伸びる子を育て上げたほうが効率は良かったかもしれない.しかし、学校ではゆとり教育を進め学びたい子は学習塾で勉強させるという仕組みは、誰にメリットがあったのだろうかと思う.

 日本の価値観ががらりと変えたのは、あくせく働くことは悪だという風潮で、楽して稼ぎたいと思う人たちが増えることで日本の競争力は低下してきたのだと思う.

 効率で考えるなら、平等な教育ではなくできる子を伸ばし、できない子は他の分野で活躍できるように競争させ、そこから落ちこぼれた子供たちに対して社会で必要な教育を施すほうが良いだろう.

 しかし、日本社会は義務教育の中では競争させることを許さなかった.それは、親の子に対する期待が簡単に崩壊することを恐れたからだと思う.平等な教育であれば、一見教室内で競争は無いことになるからである.その中で落ちこぼれとして扱われるのを恐れる恐怖に対して親は反対する.

 その中で教育に掛るお金を負担するための格差が生まれ、教育にお金を掛けられない子は、いくら素質があっても伸ばすことはできない仕組みが出来上がってしまっている.義務教育で平等を期すために取り組むシステムが却って教育格差を生む理由になってしまっている.

 更に問題なのは、勉強が優秀であれば猫も杓子も医学部に進学する風潮である.医療には知識の他に、手先の器用さやコミュニケーション能力の高さが求められるのに、それを度外視し、勉強ができテストで優秀な成績を収めれば医学部に行くというのは根本的に間違っている.

 いくら医者になったとしても収入はある一定額に留まりそれを超えることは決してない.所謂才能の無駄遣いが頻繁に起きている.本来なら別な分野で才能を生かすべき人間が、選択を間違えたことで起きる悲劇である.

 日本がやはり目指すべきことはやはりナンバーワンになることである.目指すのがナンバーツーであるなら、何時までもナンバーツーにも慣れないだろう.その国を支えていくためには、やはりナンバーワンを育てる教育を目指すべきなのである.そうでなければナンバーワンを目指す人は出てこない.

 断っておくが、勉強ができることは別にナンバーワンになることではない.それはあくまで過程で有り、目指すのはその先にある人生でナンバーワンになることである.

 その分野は、何でも良いのである.YouTuberとしてナンバーワンを目指すのもありだし、スポーツでナンバーワンを目指すのでも良い.何かを製造するのでも良いのである.

 そのためにナンバーツーを目指すのはやめた方が良い.だから、教育は学びたい子は自由に学ばせるというのが大切なのだが、その子供の適性が子供時代に判るかというのが一番の問題でもある.