検察

 昨日の夜降り始めた雪で、辺り一面すっかり白くなってしまった景色が窓の外にあった。
 その白い景色を朝日がキラキラと輝かせている。

 
 西松建設の件、最初の勢いはどこへやら、ロッキード事件のような政界の大物逮捕という結果には成らなかったようだ。
 華々しいマスコミへのリークの嵐は、一体何のためと言わざる得ない。もし、小沢民主党代表が起訴ということにならなければ、今後の選挙に多大な影響を与えたと言って良いだろう。

 ここいら辺りが重要なのだが、この事件において司法とマスコミの犯罪報道の対応が適切だったのか検証が必要だろう。
 一つ、犯罪として立証されなかったものが、大々的に報道された事による被害を、司法当局、マスコミ各社はどのように回復してくれるのだろうかと言う事である。
 
 確かに、犯罪報道を規制すると、報道自体が萎縮すると言う問題があるが、結果的に誤った報道になった場合、そのフォローができるのかと言う問題である。
 これは、相撲の一連の八百長疑惑を記事にしていた週刊現代が裁判で敗訴したが、控訴する事で相撲協会側の名誉は回復されない状況と同じである。
 もしこのまま裁判が続けば、相当な期間相撲は、世間で灰色として見られ続けることになる。

 また前に戻るが、小沢代表の件も同様である。今回の秘書の罪が政治資金規正法違反だとしたら、今まで同様の事件が起訴されなかった事実を国民に明らかにする必要があるし、最終的に小沢氏が起訴されなかったとしたら、民主党の今の状況を作り上げた責任をどうするのかと言う問題が出てくるだろう。

 確かに、軽微な犯罪の陰に巨悪が眠っているとしたらそれを正せなかったとしたら司法の存在意義が問われる事になる。もし、犯罪が犯罪としてきちんと処罰されなければ、国民全て法の下に平等に存在しているとは言えないだろう。
 
 それにしても、少なくとも政権交代でこの景気を何とかしてもらいたいと思っていた国民にとっては後味の悪いものになったと言わざる終えない。
 この事件がこれで片付けられた場合は、更に国民は司法当局のやり方に疑問を持つだろう。