曇り、気温はプラスの1度。空を覆う雲は厚く今にも大雪を降らせそうな様相である。
昨日、テレビで老老介護の様子を映す番組を見た。お互いに80歳代で介護をするのは大変な事だろうと思う。今の日本、或いは未来の日本で本当に必要とされる介護を行う場所を提供できるだろうか?甚だ疑問である。
それは、消費税の先送りに代表されるように自分の懐に直接響く政策を国民が中々受け入れないという事だろう。そのため思い切ったビジョンを描けないのが現実である。もう一つの不安は、年金や介護保険の機能が十分働くかということである。
我々の持つ原資を有効に使うためこの先の日本ができることを考えると、30年後の未来は決して明るくない。それは、今を生きる人すべてが何時かは通らなければならない道であるからこそ重要な課題である。
そういった材料を鑑みるに、この先の高齢者の扱いは選択と選別に成るのだろう。
選択は、将来のために貯蓄、そして、高度医療を受けられるような仕組みを若いうちから考えるか、それを諦めるかという選択だろう。
選別は、公的な仕組みの中で介護を受け入れるか、それとも自分がお金を出してサービスを受けるかの選別である。当然公的な仕組みの中でできる介護と医療は限られ、それ以上のサービスを受けようと思えばそれ成りのお金や保険に加入しておく必要があるだろう。
では、最低限の介護と医療のラインをどこに持ってくるかという事に成る。
最低の介護は、やはりそれなりのものになるだろう。ニュースでも問題となった、ベットに縛り付けられて介護を受けるような施設に入居することだろう。最低限の介護を受けながら生きながらえるところである。
それが問題として取り上げられたが、その結果はどうだろう。誰もが反対をして、充分なサービスを提供すべきだという世論が形成されただろうか?結果は、それを国民は受け入れたような気がする。それを満たす余力は自分たちには無いという感じだった。
これは、自分たちの目に入らなければ何事も受け入れる、或いは受け入れざる負えない所に既に来ているという事である。目に入らなければゴミ屋敷もゴミ屋敷では無い。いわゆる放置である。
そして、その最低限をも達成できない時はどうなるか?それは、今を生きる若者も真剣に向き合わなければならない現実でもある。