日本という国

東アジアサッカー選手権が今行われていて、サッカーでは、日本はアジアでトップだと思っていたのに、今回は、もしかしたら最下位になりそうである。
 ただし、昔からサッカーは、アジアで強豪国ではなかった。日韓W杯の前のW杯予選では、あの有名なドーハの悲劇で予選敗退していたわけである。でも、今回もドイツW杯出場を決めて、いつの間にか実力はアジアトップだと見ているほうは誤解してしまっていた。

 翻って日本。ペリー来航で鎖国開放してからまだ150年しか経っていない。そうなのだ、3代か4代前の御先祖様はまだ頭にちょん髷を結って生活をしていたのだ。それが、第2次世界大戦後の高度経済成長を経て(それも60年前)今の日本が作られているわけである。

 そこに、大いなる誤解がある。今の日本は、自分で先進国と呼ぶが、実体は、アジアの国の1つに過ぎないのである。ここまで何十年かは、ODAなどで、開発途上国と呼ぶ国に援助を行っていて世界に貢献してきたと思っているだろうが、実のところ、開発途上国から原料を仕入れ、安い人件費で物を作らせ、それを売った利益を還元してきただけの事なのである。簡単に言えばバックマージンの1種である。

 それが、悪いという事ではない、もしそうしなければ日本は、世界からボイコットされていたであろう。

 今回、国連の常任理事国入りに関して、我が国の外相は、国連負担金の減額をちらつかせたという。確かに、負担金の額が、発言力に多少反映する事を主張するのは、正当な意見である。しかし、それが国の地位とか名誉に直結しているとは限らない。かえってそれは、途上国(それが正当な呼び名と思わないが)から搾取した金なのだから負担して当たり前じゃないかという反発を生みかねないやり方だったと思う。

 先進国などという言葉は、まやかしである。いくら近代的な生活をしたところで、精神までが高尚になるとは限らない。時代のバランスが今の日本をという国を作ったのである。それを理解しないうちは、世界から尊敬される国にはいつまでたってもなれないだろう。

 何か、日本を卑下する文章になってしまったが、今の日本人を悲観する事はない。ただ周りのアジアの国々も、以前の貧しい国ではなくなってきているということだけなのである。いつまでも先進国という言葉に踊らされず、他の国があるから日本という国家が存在するのだという原則に戻り、日本という国の立ち位置を見失う事が無い様に、この先ずっと生きていかなければならないということである。