平和を考える

もう直ぐ、終戦記念日がやってくる。確かに今の日本は、平和である。四方を海に囲まれ、日本に攻め入ってこようという国は無い。確かに北朝鮮は今の所、最大の問題だが、国力から言って簡単に攻め込んではこないだろう。それが今の日本人を支配する考えではないだろうか。

 そのため、平和ボケに近い雰囲気が蔓延しているように感じるのは自分だけだろうか?同じように平和と思われるアメリカは、絶えず敵を作り、そして敵国に攻め入ってアメリカという国家の独立心を保とうとしている。

 日本といえば、野球のWBCやサッカーのW杯で、かろうじて日本国民だという意識を盛り上げているに過ぎない。それ以外に、国民全体で何かに向かって動こうとしない。
それが、平和に慣れきっている日本の姿である。

 却って、日本の敵は何処だと絶えず探し回るより、また、W杯は必ず日本を応援しなくてはいけないと強制されるより絶対良いに決まっている。国の名の下に生活を統制されるより素晴らしいことに違いない。

 それは、全て『自由』という名の下で繰り広げられている。しかし、真の自由は、全ての人が、守らなくてはならないルールの下に初めて存在する。平和もその結果である。

 なぜなら、人を殺すのも自分の自由、人のお金も盗むのも自分の自由なら、その被害に会う側に自由は存在しなくなってしまう。

 国民に与えられた自由が権利なら、自由を守るために義務を果たさなければいけないし、本当の自由は、制約された中から発生するものだと認識しなければならない。

 平和な世の中のため、却って何をしても自由だと、叫ぶ人間が増えてきたように思う。しかし、平和な世の中にするには、何をするのも自由だという認識をしていかなきゃならないし、それを教えていく必要がある。

 最近の、ばれなきゃ犯罪を犯しても良いというような風潮をどうしたら改善できるのか、難問である。
 子供にそれを教える、親、教師の一部にそう言ったことを許す雰囲気があるのが現状だからである。

 でも、もう少ししたら、この社会的な風潮の反動を受けて、国家主義的な意見は当然出てきて、徴兵制の復活などと言う話になりかねない。
 そうならないようにするためにも、今の大人の人は、考えを改めなくてはならない時期に来ていると思う。