いじめ

いじめは、人類が集団で暮らす中で必ず発生してくる事象である。

 いじめが発生する原因は明らかである。集団で暮らす上で、人が集まれば人の好き嫌いが発生する。それは、容姿であったり、言葉使い、体臭であったりする。
 
 それを許容する範囲をそれぞれがもっているしそれを自制する事はかのうである。それに耐えれないときに衝突が起こる。そこで体力に訴える事がけんかである。
 しかし、学校や社会で暴力を振るえば当然直ぐ問題となることや、当事者がケンカなどが出来なければ、いじめが起こることになる。

 これを解決するには、

 お互いを離すこと。例えば転校させるとか、職場を離れるということになる。しかし、この場合何らかの事情でできない事もある。

 その当事者を監視し、問題行動を阻止する。
 これは、人の都合がつけば可能である。後は経済的なものか。

 精神論、道徳論に訴える。周囲に当然人がいるのであるから、周囲が監視し、或いは静止行動をとるようにすれば、これほど素晴らしい事は無い。
 そういう風に仕向けるのが教育なのだろう。

 教育は、学校だけのものではない、家庭でも行えるものである。或いは家庭でこそ行わなければならないのだろう。また、この事は地域でも行う事が出来る。

 親は、学校に子供の教育を任せすぎた。そして教師は、その問題処理に終われ疲れ果て、今はそう言った状況から逃げようとしている。
 
 これは、家庭、学校、国全てで解決しなければ行けない問題である。
 社会では奇麗事ではすまないのが現実であるが、しかし人同士の助けが無ければ、暮らしていけない。今一度社会全体の問題として捉える必要が緊急に必要だと思う。