いじめ、自殺

 曇り、気温は高く、湿度も高い。

引用 朝日新聞http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000001208270001) 

大津市立中学2年の男子生徒(当時13)の自殺から10カ月。いじめとの関連を再調査する第三者委員会の初会合が25日、開かれた。遺族の思いをくむ形で発足した第三者委は果たして真相を解明できるのか。多くの学校関係者が注目するなか、第一歩が踏み出された。

 いじめられた側が、自分の人生を絶つことの繰り返しをこの事件を機に無くして欲しいと思うのだが、この事件に触発されたように、中学生、小学生の飛び降り自殺のニュースが後を絶たない。

 いじめられる側にとって、大津市の自殺した中学生のように、自分の苦しみが自らの命を絶つことで救われると考えるのは、人間なら持つのは不思議ではない。

 ではこの間、この問題に対して大人社会は、どのような対処を取ったのだろうか?

 実際、大人社会は、こういった社会現象を見て見ぬふりをしていると言って良い。きっと学校では、先生が生徒たちに自殺はするなと高説をのたまっているだろう。そして内心自分のクラスでそういうことが起きて欲しくは無いが、生徒一人一人の監視は無理と内心思う教師が殆どだろう。今の学校にテレビに登場するような熱血教師はいないと思って良い。

 大人社会に有る自分たちが陰ながら行っている学校のいじめに類した行為は、幾らでも存在する。大人社会でも派閥争いが有り、ライバルとの争いがある。その敵対する相手に対しては、時には子供と同じようないじめ行為を行っている。更にリストラなどで行われる退職勧奨の行為もまさしくいじめと同じである。

 しかし、その行為が大人社会で無くならないのにどうして子どもの社会で無くなると考えているのだろう。いじめを無くそうと声高に喋る大人の不気味さが見ていて気持ち悪い。

 いじめは必ず人間が集団で存在する限り起きることは、自明の理である。そのいじめが起きた時にどう対応するかが、問題解決に繋がる。しかし、言葉にすれば簡単なのだが、実際にその問題を解決することは非常に難しい。

 

 何故ならその解決方法が、決められたパターンで無いからである。その個々の状況により解決方法は変化するし、対応の方法も異なる。更に一人が解決してもまた一人現れると言った繰り返しが永遠に続く。その中で最初の解決策は陳腐化し、また新たな解決策を模索する無限ループに突入する。更に担当する人間は次々と変わり、何時しか経験則は失われてしまう。

 いじめ対策についても本来なら学校ごとに専任のいじめ対応の専門家が常駐する体制で有れば良い。仕組みとしては児童相談所ののような組織が専門家を学校に派遣することである。

 ただし、専門家や組織が有っても機能しないことが有ることは、現在の児童相談所でも問題が起きていることで明らかであるが、無いよりましである。今の教師は、教師としての能力を喪失してしまっている。今いるのは学校のセンセイである。

 そんなセンセイに頼るくらいなら、きちんと担当が決まった専門家の方が、生徒も頼りやすいであろう。

 今の人間社会は、何らかの組織が無ければ機能しないようになっている。それは、全ての事に規則を作りそれに則って行動するように社会が作られてきたからである。その規則通りに行動していれば周囲の人間は安心していられる。

 ただし、その規則に反する人間が現れた時、その組織内部では解決できず、警察などに事件処理を頼むという事が常態化しているからである。

 自分に、いじめられている子供が自殺しないように止める完全な方法は無い。