銃社会 どのように考えるか

ここに二つの命題が提示された

 市民が銃を持たなければ、銃による殺人は起きない。

 市民が銃を持つことで、銃による殺人を少なくする。

 そして、事件が起こった。

 日本では、銃刀法という法律で、市民が銃を持つことを禁じている。しかし、不正に所持した拳銃で殺人が起きる。
 銃の携帯が許されるアメリカでは、その銃で殺人が起きる。

 確かに、日本という国の中で、誰もが銃を持たなければ銃による殺人は起きない。これは間違いない。しかし、誰もが持たなければ、不正に持ち込まれた銃で犯罪者が事件を起こせば誰もそれに銃によって反撃を加えることは出来ないことになる。

 それが、アメリカのポリシーなのだろう。銃には銃である。アメリカの歴史の中で銃こそが自分の身を守る手段であった。それにより自分が死のうが構わない。反撃の手段さえ持っていれば良いという考え方なのだろう。

 翻って日本は、昔から銃社会ではなかった。戦国時代に武器として使用されたが、時の政府は、武器を武士以外から取り上げた。それ以来、一般庶民が自由に銃を持つことを禁じられたわけである。それ以来、相手が銃を持って向かってくるという場面に出くわすことはほとんど無くなった世界にいる。

 銃を持たない社会では、銃を持った人間が中に入ってくることを前提としていない。そのため普通の生活では、銃を持った人間がそばにいることはありえないので安心して暮らせる。しかし、銃を持った人間が現れると抵抗するすべが無い。
 銃を持つことが許された社会では、そばに銃を持った人間が何時でも存在すると考えなければならない。そのため銃による犯罪がいつでも起こりうるため警戒して暮らさなければならない。しかし、銃を持った人間が現れれば、反撃するすべはある。

 どちらが暮らしやすい世の中だろう?

 銃を持たない社会では、銃が無いほうが幸せだろう。既に多くの人間が銃を持った社会では、銃を持ほうが安心だろう。

 ---ここら辺もう少し突込みが必要である。後で追加するかも知れない

 この先、どちらが常識となるかは分からない。しかし日本人にとって銃が無い社会の方が幸せなのは間違いないところである。