厚い雲が地上近くまで垂れ込めている。ひんやりした空気が流れている。これが日中には晴れてくると言うのだが俄かに信じられない。
朝目覚める前から目覚めるときにかけて思考しているときがある。それはすごく連続していて、睡眠中の夢を見ている状態からそのまま目覚めていくのである。
そして今日の朝考えていたことは、人間に永久機関のように永遠の命を与えられていたらと言うことである。もしそうなったとしたら問題は、地球上に人間があふれてしまうだろう。もしそうで無ければ生殖行動を起こさないだろう。
また滅びる肉体は切り離され、思考回路だけがロボットのような機械に埋め込まれるのだろう。今日の命題はそこで終わった。そして今活動している自分がその続きを考える。
さてそれで幸せか?
一つ幸せは、死への恐怖からは逃れることができる。思考回路から肉体は切り離されているわけであるから病気などの心配は無いだろう。メンテナンスは必要だろうし、動力エネルギーをどこから提供するかと言う問題はある。
人間は、食物や水、酸素でエネルギーを作り出している。その効率は非常に悪い。全てのエネルギーを燃焼させず排泄物として体の外に出してしまうから。機械の体であれば、燃焼効率を高めればほんの僅かな資源で体を動かすことができるはずである。
ここで思いつくのは、思考を機械に移し変えることができるのならば、新しい肉体に思考を移し変えることができるはずである。
SFチックであるが、朝目覚めた時まったく別の肉体を得て思考が移し変えられているとしたら、唯一の存在であった自我が複数存在することになる。
自分は自分であり、別の自分も同時に存在することも可能である。コピーである。
人間の記憶が魂という霊的存在とイコールであるなら、自分の記憶を記録したメモリーに魂が宿ったことになる。では人間の存在とは何なのだろう?肉体をまとった考える機械は永遠の命と引き換えに自我を失うことになるのであろうか?
「アンドロイドは羊の夢をみるか」につながる世界である。
人の存在が永久に続くとすれば、この一瞬の肉体と精神の融合された存在の存在する意義が問われることになるのだろう。