エゴ

 晴れ、まだ肌寒い。吐く息も口から吐き出された途端、白い霧になる。
 もう既に春が来たと誰もが思っているはずなのに、現実は春先のままである。


 引用 朝日新聞(http://www.asahi.com/politics/update/0419/TKY201004180309.html

普天間移設、徳之島に正式要請へ 地元は反発、難航必至

 鳩山政権は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として検討している鹿児島県徳之島について、今月中にも県や同島の3町の首長に正式に受け入れを要請する方向で調整に入った。米側が地元の同意が交渉入りの前提との姿勢を崩していないため、5月末までの決着のために、早期に地元との交渉を始める必要があると判断した。
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 全ての国民が等しく幸せになれるはずはない。誰かが利益を得れば誰かが不利益を被る。その不利益の代わりに誰かが補償をすることで国が成り立っている。
 今回の沖縄基地移転の問題、殆どの国民は自分の不利益になることなど考えてはいない。
 この様に新聞記事にする新聞でさえ解決方法を提示することは出来ない。しかし、そこに困っている人がいるからという事だけは明らかにしなければという使命感から記事にする。
 本当にそこに使命感があるとは本当は思えない。何故なら沖縄の基地問題に関してこれまで沖縄の人の苦しみを散々訴えてきたから。
 しかし、その苦しみを記事にするだけで、新聞はTVは何もしてこなかった。或いは出来なかった。

 何故なら新聞の不文律として、誰もが幸せにならなければならないからである。今回の問題は、そういう問題である。国だけを悪者に出来ない。

 自分がもし沖縄の人と同じ暮らしをしていれば、生活している真上を轟音を立てながら飛行機、戦闘機、ヘリコプターが飛び交うことを望まない。
 そこから自分が出ていくか、基地をどこか別のところに移してもらいたいと思うだろう。
 その生活を知って沖縄の人の苦しみを思うが、決して自分がその生活強いられることを望まない。徳之島の人たちもきっとそう思うことだろう。

 もうひとつは、日本にアメリカ軍の基地は要らないと主張することである。

 冷戦が終結し、世界がこのまま平和になると思っていた時期が有った。しかし、それは誤解だと言うことが判った。世界が混沌とし始め、どの国も紛争に敏感になると何時それが現実のものに成とも限らない。また世界は緊張を始めた。

 誰もが幸せを望んでいるとは限らない。どこかで不幸が起こることを望んでいる人たちが世界で一定数以上存在する。例えば、武器を作っている人たちだ。

 日本だけが、他国からの侵略を受けずに済むという保証は存在しない。日本国憲法の理念は素晴らしい。これが守られ更に世界に平和という仕組みを日本が推し進める事ができればどれ程幸せだろう。
 もし明日からそれがすぐに可能なら日本に軍隊など要らない。しかし、物事には過程がある。一朝一夕で事が片付くけられる事は不可能である。
 長い下積みが日本にとって必要である。

 そして、それは日本という国を理想的な平和国家にするためには、まず国民のエゴをどのように国家への忠誠心に変えるかと言うことだろう。
 自分の不幸が他の人の幸せにつながるかと言うことを地道に共有させることが必要である。
 ただ、その清く正しい生き方を国民全てが受け入れることはできるだろうか。