沖縄問題

 晴れ、気温は2度。風が無いためか日曜日より暖かく感じる。明日以降稚内などは雪が降るらしく寒さが戻るようだ。



引用 NHK(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150406/k10010039741000.html)

沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に反対する沖縄県選出の国会議員や地方議員合わせておよそ90人が6日朝、埋め立て予定地に近いアメリカ軍基地のゲート前で続く抗議活動に参加し、「政府は県民の声を聞け」などと訴えました。

 沖縄の問題、確かに現地に住んでいる人の考えを尊重するのは大事な事である。日本は戦後、色々な所で国内国外共に非難を受けた場合一歩引いて対処する方法を繰り返してきた。

 そのため、諸外国なら国の命令と共に強制収容という運びに直ぐにはならず時間を掛けて対話を続けてきた。その対話の間、過激派などの介入により血を流す争いもあったわけである。

 そういった歴史は、きっと60年安保から最近では成田(三里塚)闘争までに生まれた年代しか共有できないものだろう。そう考えると、1980年までくらいがそういった闘争の歴史を見てきた世代といえる。

 そう断定してしまうのもあれだが、2000年に入るとそういった問題を受け入れる人が少なくなってきたのかもしれない。またそういった闘争の原動力に行かれる若者たちの参加というものが必須だったが、1990年代は、そういったアウトロー的な若者たちの受け皿にオウムなどの新宗教がとってかわり、目に見えない所に隠れ事件を起こしてしまったのだが。

 そして、今日本で目立つ国を相手にした闘争案件は沖縄にある。

 以前訪れた時の沖縄は、基地と共存しているように思えた。ただし、それでも米軍ヘリの墜落事故や、米兵の婦女暴行事件などが起こり、基地反対運動というものは続いていた。

 何故、徐々にそういった問題が徐々に大きくなってきたのか、それは地元民の意識の変化だと思う。それはいわゆる教育である。今まで有った物が、内地の人を守るために存在し、その犠牲に沖縄県民が成っているのだというものである。

 だからと言って、沖縄県民が考えなくても良いことでは無く、その事を真剣に考え反対することに問題は無い。

 問題があるとすればそれはやはり革命を起こし今ある体制を崩壊させようというグループの存在だろうと思う。赤軍派が武力闘争で国を転覆させようと言う考えと同じものである。

 基地を問題視するあまりそういった火種を利用して自分たちの思想を根付かせようとする勢力は存在し、そういった存在は、力を蓄えるために自分たちの思想を明らかにすることは無い。

 自分たちの思想の正しさを証明するために多くの活動家を育てその数を増やすまでは、自らの正体を現すことは無いからである。

 それは、今中東で行動を起こしているイスラム勢力と同じである。ある程度の規模に成るまでシンパを増やし、それが多数に成れば行動を起こす。その間常に自分たちの思想に共鳴する人間を多く集める努力を行っていた。

 今、声高に叫ばれる日本の犠牲に沖縄はなっている言葉に間違いはない。アメリカ軍の基地問題は日本国民平等に考え、その負担も日本国民なら平等に受け入れるべきである。その正論に反論できる人はいないだろう。

 正論を打ち負かすことは困難な事で、それを拒否すれば拒否する程、国の旗色は悪くなり国民の賛意は得られなくなる。現に多くの日本人は沖縄の痛みを理解しようとしている。

 もし政府が行動を起こせば、辺野古の問題は過激化するだろう。現に今もその前哨戦と言える小競り合いが頻発している。

 

 この先、この問題は成田闘争と同じような経過を辿るだろう。国が行動すれば行動する程過激な抵抗を行い、世界にその問題を広めようとするだろう。根競べである。

 

 果たして正しい解決方法、皆が得をするようなものがあるとは思えない。皆が損をすることが長い年月続くだろう。話し合いを繰り返したところで片方が全てを拒絶し、軍隊の無い県を作ろうとするのなら解決策は無いだろう。