晴れ、朝日がまぶしい。吐く息が白く光る。それはまるでゴジラが吐く吐息の様である。日向は暖かいが日陰は寒い。
引用 日経ビジネスオンライン(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20101016/216678/)
素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る
第2次世界大戦はグローバルロジスティクスの闘いだった
確かにこれは頷ける部分もある。この短い言葉ですべてを表そうとするならこの表現になるだろうが、本来は、プロは「兵站」から「戦略」を語るが正しいだろう。そして素人は、「兵站」を無視して「戦略」を語るになるのだろう。
しかし、今の戦力でどの程度戦うことができるかというのは、何も考えずに玉砕で沈むということに他ならない。それが正しい正しくないは別にしても日本人の心に響く、自分を犠牲にして体当たりする美学に通ずるものがある。敗れて散る美しさを褒め称える風土があることも無視できないだろう。
今の自分に人を指揮する能力があるかと言うと疑問符が付く。戦略を考えるにやはり人を使う能力が求められる。それは、人望であったり策略であったりする。
それを面倒くさがらずに行う能力というのは、性格だけではなく持って生まれた経験に頼るところが大きい。詐欺師は生まれながらに詐欺師ではない。その能力を高める生活が有ったからである。人を操る力を持った人は、詐欺師の能力に通じるところがある。
自分がつく嘘を、嘘のまま終わらせるかそれを真にするかで他者の評価が変わる。嘘が嘘であれば詐欺師であるが、嘘を真にすればそれは偉人である。全くもって紙一重である。
戦略も詐欺行為も同じである。結果が正しければその間の行為は正当化される。もし失敗すれば詐欺師呼ばわりされ無能のレッテルを貼られるのを良しとしなければならないのである。
兵站は、限られた人員と資源を如何に把握しそれを有効利用するかである。無能な指揮官は、無駄に兵力や物資を消耗し戦いの終盤に兵站を使い果たす。臆病な指揮官は、兵站を使い切らずに負けてしまう。有能な指揮官は、兵站を切らさずに上手に戦いを終えるということなのだろう。
それを上手くこなすには、やはり人心掌握が必要である。それ無くして戦いはできない。自分一人で何もかもすることは戦線が拡大すれば拡大するほど難しくなる。それを心得て自分の手の届く範囲で抑えてしまうのも手だが、それだと部下が育たない。そのバランスをどのように考えるかが重要である。