権利と自由

 外は一面雪化粧で、今も雪が降り続いている。気温はマイナスだが昨日よりは低くない。零度前後だろうか。


 日本人は、豊かになったんだなとつくづく思う。それを実感させてくれるのが沖縄の米軍基地問題だろう。自分も最初は、米軍基地を納得してもらうために何らかの沖縄振興策を建てれば受け入れるかと思えばそうではなかった。

 自民党政権時代のように、貧しい地方にお金をばら撒くことで色々なものを押し付けるやり方は時代遅れになったようだ。
 
 今の沖縄は、戦後の混乱を乗り切り観光都市として栄えてきた。その繁栄は、見せかけかもしれないが明日に食うのが困らなければ、それ程お金に執着しない雰囲気がある。まさしく沖縄である。

 更に、公共事業の削減が続き、お金や利権というものに敏感だった層が観光に転換し、米軍基地があることが却って邪魔になってきたという理由があるだろう。そういった色々な思惑があり、更に政権交代後地方から湧き上がる言ったもんが勝ちという雰囲気が全国に広がり、日本人の自我意識が目覚めた感がある。

 それは、昔、自由という名のもとに政府というものからの束縛を嫌った世代が日本のオピニオンリーダーになり、その層から知らず知らずの内に教育を受けた世代が日本を動かしているともいえる。

 それは、自由と権利の主張である。誰もが権利を主張する。今までなら謙遜が美徳とされていたが、声高に主張する方が利益を誘導しやすいなら言ったもんが勝ちである。声を上げる方に権力者が目を向けるなら皆がそうするだろう。
 
 そうして今の状況は、国民ならず政治家や官僚が自分の権利を主張し始め収拾が着かない状況にあるといえるだろう。その中で誰が決定しようともその決定すら守られない事態に陥っている。

 国民の義務があって初めて権利が生じる。国の安定無くして権利は保障されない。しかし、今の日本は、自分の義務すら果たさないで私利私欲のためだけに能力を注ぐ人間が目につきはじめている。
 本当にそれで自由を得られるのだろうか?個人の自由の主張は他人の自由の侵害と紙一重であることをもっと一人一人が気付くべきだろう。それは自分を含めてのことで、自戒しなければならない。