ネット

 曇り、時折強い風が吹き体の熱を奪っていく。

 今ネットの中で盛り上がっている話題は、

 引用 サーチナhttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0801&f=entertainment_0801_009.shtml

 

高岡蒼甫氏騒動でクライアントが慌て出す?スポンサー離れか

  高岡蒼甫氏の一連の騒動以降、動揺しているのはフジテレビ社内だけではないことが判明。その件についてTwitterにて詳しく述べられており、今後の動向や広告出稿への影響が出そうだ。そんなTwitterの投稿をまとめたのが以下である。

  「月曜から沖縄に来ていたTV関係の知人が、例のフジテレビの騒ぎで慌てて帰って行った。局内よりもクライアントが動揺しているらしい。不買運動などが起こったら局としても命取りだ。そもそも高岡氏の発言は単なるきっかけで長年の局の放映姿勢がバッシングにあっているので収束の着地点が見えない」

  「確かにCXの韓国偏向報道姿勢は行過ぎな所があった。視聴者はそれを敏感に感じていたが、今回の高岡氏の件で溜まっていた不満がバッシングとなっていた。デモまで計画されているというから凄い。株主構成を考えればすぐには報道姿勢は変えられないだろう。だが広告出稿に影響が出るとそうはいかない。」

  「CXの韓国偏向の理由。株主構成≒広告主、K-popの権利関係が系列企業にある、安価な韓流コンテンツの費用対効果、等で局全体が親韓(反日)ムードの方向に進んでしまった。しかし放送という公的業務を生業としている限り偏向放映姿勢は糾弾されて然るべきだ。しかし今回の騒動は先行きが見えない」

  フジテレビの番組スポンサーについている企業としては、今回の騒動はかなりの痛手となっている。実際に視聴者からかなりの電話が来ているという。そしてネット上ではそんなスポンサー企業の不買運動なるものが行われており、掲示板にフジテレビスポンサーの一覧が貼られている。そうなると次に困るのは企業側で、スポンサーを降りるしかなくなってくる。

  そうなればフジテレビは新たなスポンサーを探すか、番組を打ち切りにするか、ほかの方法で対策するしかなくなってくるだろう。企業広告によって成り立っているテレビ番組。公共の電波を使い韓国ブームを“ゴリ押し”と受け止められてしまったツケなのだろうか。(編集担当:神谷善一)


 ネット上の掲示板で盛り上がり、それを論じた話題がネット上にちらほら見られるようになった。

「ネット上のフジテレビ批判をマスメディアがまったく報道できない理由」(http://news.livedoor.com/article/detail/5757765/

で書かれているように、この話題は、あくまでネット上のローカルな話題でありマスコミでは一切触れられない。

たまにTVでも、ネット上の情報を元に番組作りを行っていることがたまにあるが、それは、あくまでも情報の利用の一環で、ネットとTVは、犬猿の仲らしい。

 今回の騒動は、TVのスポンサー会社の一つである「花王」が何故か不買運動の対象となるなど、徐々にその勢力は拡散し始め、ネット独特の状況を示し始めている。

 ネット上の騒動を起こす主体は、非常に結びつきの弱い集合体である。その集合体が一度同じ向きに向くと一気にエネルギーを増すが、一度その結びつきが弱まると急速に失速する。

 またその結びつきが弱いため、その行動を引き起こすあるいは火消するという工作が可能である。しかし、一度出来上がった流れは、色々な記憶を人々に植え付け、また別な騒動が起きた際、以前の記憶を引きずるように全体の意思が統一されていく姿は見事としか言えない。

 昔の情報戦争が、TV、ラジオ、そして噂話のようなものであったものが、今では、ネットが主流になりその拡散のスピードもました。それはまさしく敵味方がネットという同じ土俵で争われるために、その戦いの条件は同じであるということが今までと違うところである。

 昔なら、人、金、モノが揃って初めて戦争が仕掛けられたが、今では人さえいれば何とか仕掛けられるようになっている。まさしくネットの前では権力者もニートも平等にアクセスできるのが今の状況である。

 ただし、ネット上の言論は、能動的なアクセスが無ければ拡散しない。権力者が行う古典的プロパガンダの手法は、金さえあればだいたい叶うのである。

 そして今後のネット上の情報戦争行方なのだが、権力を持った者は、その情報という武器を独占し、敵対する勢力の武器を無能化しようとすることは当たり前のことである。

 そうすれば、今までのマスコミを使った世論の誘導を更に強固なモノにすることが可能であるからである。それをすべく色々な情報規制策が日本でもとられてきている。

 こういった一見自由に見えるネット空間であっても、その影響力が増せば増すほど、これを如何に上手く操作しようとたくらむ人間は増えてくる。そして更に情報の真実性が希薄になり、本当の真実の情報を得るためのリテラシーが必要になってくる。

 まさしくオオカミ少年の世界がネットの先に開けている。