どうなの

 曇り、時折小雨が顔に当たる。気温は、零度に近い寒さである。

 
 以前、被災者は北海道に移住したら良いと書いたが、やはり冬の寒さと雪に慣れないと難しいのかもしれない。本当なら、夏は北海道、冬は沖縄というのが理想なのだが、残念ながらそういう暮らしができるのは、ごく一部の人たちかもしれない。

 そして、東京の首都機能の一部を各地方に移転させるという案も、受け入れ先の利権が絡むと中々旨く事は運びにくい。
 徳川幕府が、江戸に城を構えることに決めたのは、徳川家康の鶴の一声だったのだろう。それまで江戸の地には、都市と呼べるものが無かった。更にそれまで三河地方の領主だったわけだ。
 
 このように、ある特定の利益と結びつかずに決定を下すとなると、やはり天の声が必要になるのだろう。有無を言わせない反対意見を言わせない仕組みということになるのだろう。

 一層の事行政権限は、人工知能を使った決定をした方が、何のあとくされが無い、利益供与のない健全な決定が下せるのかもしれない。
 人工知能が如何にも難しい計算を行っているように装い、中では簡単なあみだくじで決めている位なものが、日本人の心に遭うのではないだろうか?
 
 日本人は代々、首都機能を頻繁に移動してきた。その理由が何となく現代からすれば迷信と呼ばれるものだったことが歴史の教科書から窺い知れる。しかし、その当時の人は上が決めたものだからと多くの人間は従順にしたがった。

 大部分の日本人は、お上の御威光というものに逆らわない。第2次世界大戦に負けてアメリカ軍に占領されても、アメリカ軍に従った。普通なら占領に対するレジスタンスが起きてもおかしくなかった筈である。なぜならそれまで鬼畜米兵といって戦っていたからである。

 それをせずに大人しく命令に従っていたのも、何時か支配者層が変わるのを知っていたのかもしれない。そして台風のように頭の上を通り過ぎるのを待とうという意識だったのだろう。まかり間違えば、虐殺されるかもしれないと思っても、自分の番が来ないのであれば問題が無いわけである。その間に上に上手く取り入って何とか自分だけでも助かろうと考える。

 そんなわけで、日本人が決断するには大義名分が欲しいのである。あるいは、従順な飼い犬になり飼い主の決定を受け入れることでしか下せないともいえる。

 果たして日本の復興はあるのか?あるとしたらそういった呪縛から解き放たれた考えをもった日本人にならなければならない。