政治空白

 雨、時折滝のような雨が降る朝である。気温は20度くらいだろうか。


 民主、自民、維新と選挙へ向けての動きが慌ただしい。政治の空白期間が長くなれば長くなるほど国民生活の懸案は置いてきぼりにされることを政治家は全く分かっていない。

 経済、社会保障、外交と難問が山積みの今、政治が動いてくれなければ何も解決しないのに、国会は完全休会状態であり、国会議員は税金泥棒と呼ばれても仕方が無い状況である。国民の税金は、自分たちの小遣いレベルと考えているとしか思えない。


 それにしても各党、選挙に向けての顔選びに奔走していらっしゃるのを見るにつけ、その働きを国民のために使ってくれたらと言う思いは大きいのが、それぞれの党の顔選びについて少し感想を書きたい。


 まずは政権与党である民主党。ここは既に死に体であり、できることなら解散を伸ばし起死回生の一打が出ることをみんな願っているに違いない。今選挙を行えば、現役の国会議員の半数、悪くすれば3分の1しか生き残れそうにない状態である。

 そのため、解散を約束した野田総理を始め引き伸ばしに必死になるだろう。その党首選の顔ぶれだが、野田、原口、鹿野、赤松各氏と名前が挙がっているが、ただの数合わせに過ぎないだろう。総裁選に受かっても選挙でもしかすると落選の憂き目にあうことになりそうである。それ程厳しい状況である。細野大臣が立候補を辞退したのは賢明な判断だっただろう。沈みかかった泥船から早く逃げ出す先見の明も必要である。

 次いで自民党。ここも既に党としての態を無くしつつある。その一つは、やはり谷垣総裁を切り捨てたところだろう。野田総理の話に乗り消費税の賛成に回ったり、問責に賛成したりとこの人自身の足元は何処にあるのかと疑わざる負えない醜態を晒しつづけているが、本来この人は、誰かの操り人形に過ぎない、それを操縦する人間が多数いるため足元が覚束ないだけである。その大勢いる黒幕の人にやめとと言われれば素直に引き下がる精神構造は、一国の総理になったとしても同じだろうから、今のうちに引き下がるのは国民にとって幸せだったが、その操られ具合を見る周りにとって哀愁が漂う。そして、義理人情が好きな日本人にとって水に落ちた犬のような存在で可哀そうという感情が湧き上がる。きっとこの人は選挙でも今回の事で同情票を集め当選するだろう。

 そして、まだまだ不透明であるが、候補として名前が挙がっているのが、石破、石原、安倍、町村各氏。

 その中で特筆は、その容貌で損をしている石破氏だろう。政策通、防衛通という評価が高いのだが、あのねっちっとした喋り方と怒ると頬が赤くなる姿は、まさしく、見る人にある種の考えをもたらす。クラスメートの中に一人はいる秀才タイプである。余りお近づきになりたくないと誰しもが思うのだが、それなりに立派な意見を言うため遠巻きにお付き合いしたいというタイプである。できることなら親友にはなりたくないし、黙ってこの人の意見通りに行動したいとも思わないというまさしく一番選ばれそうにないタイプなのだが、今回はどうなるのだろうか?

 石原氏は、まさしく虎の威を借りる狐である。父親が、今では数少ない政界の暴れん坊と言われた生き残り。父親は、政策的にはたいしたことは無くても、その勢いと言動で支持者を集める人である。その子供がその性格を受け継いでいるかというと、全く無く、本当にボンボンである。ある意味政界のご意見番たちには操縦しやすい、或いは父親の威光を借りて何とか他の議員たちも選挙に生き残りたいと感じているのだろう。ただそれだけの人物である。

 安倍氏、この人は一度総理大臣になりながらその職を途中で投げ出してしまった。それはそれは驚きの退陣劇だった。更に、バックには最近教祖が無くなった宗教がついており、本当にがちがちの保守かというとそうでもなさそうなところが怖い所である。こちらも裏に何が有るか判らないところに弱さを感じる。本来なら自分のバックに黒白色々な組織が居ようともそれをあくまでも自分が使っているのだという雰囲気を醸し出さねばならないはずなのに、逆にバックに操られていますよ的感じがするところが弱い所だろう。

 最後は、町村氏。われらが北海道選出の代議士なのだが、父親が北海道知事を長年務め、北海道では無敵だった人間の下で育った割には、その父親の血を受け継いではいない。まさしく官僚的育ちの人で、公僕という表現が似つかわしい。それだけにそこいらの区役所に行ってもいるような雰囲気である。北海道という土地柄、東京を中心とする本州から援助を受けながらやってきた。何か中央政界の位置付けも属国から選出された人間という国会議員の中のヒエラルキーがあるとしか思えない。そのため今までたくさんいた国会議員の誰もが総理にはなることは無かった。この人がその壁を超えることができるかと言えば、その伝統的な殻を破れるようなあくどさや人脈を持ち合わせていないところがこの人の弱さ。学級委員長や生徒会長なら選ばれるのにと思う人である。

 そして驚くべきは、候補の全てが2世議員の方である。まさしく政治家の家に生まれ純粋培養されてきたと言っても良い。更に、その後に続く名前の殆どが2世議員というのは、本当に自民党は、党としての活力を失っていると感じる。やはりアメリカのように次から次と競争に勝ち抜く人材が湧き出てくるようでないと党が黄昏ていく。

 そして注目の維新であるが、ここに来て集う国会議員の顔ぶれが悲惨である。そこに有るのは、人気にすり寄るあざとさだけである。これで維新の株を下げたのは間違いない。そして橋下氏の代りと目される人の代表が東国原氏というのだから困ったものである。彼は、あくまでもイメージで政治活動をしてきた人である。政策は、2の次である。

 この状態で国会議員の数を確保するのは難しだろうから、選挙の後の連立選びになるのだろう。どうあがいても参議院選挙が行われなければ衆参で過半数を得られないのだから、この人気が何時まで持つかの時間との競争になるのだろう。そうなれば、やはり橋下氏だけが維新として活動することになりそうな予感がする。他の国会議員は、いつ消えても可笑しくないからである。

 こう長々と書いてみたが、日本人の中に本当に国を動かす適切な人材は多数いるはずである。しかしそれが出来ないのは、やはり今の政治家や政治家を作り上げるシステムが、地盤、看板であったり労組、宗教、というあらかじめ決められたところからしかできないというところに問題点がある。それを打破しなければ、新しい日本はできないだろう。