選挙がこれから

 強い風が時折吹き、7時頃からは雨が降り始めた。今日は豪雨の予報である。


 以前も書いたことがあるが、高度経済成長からつい最近まで作られてきた高速道路、高規格道路、長大橋などの建築物の維持管理に注ぎ込む費用により、今後日本の借金は更に膨らむ可能性がある。

 それに対して、今までの政府は見て見ぬふりをしていた。それは、国の財政の時限爆弾を抱えていると言って良いからである。それを先延ばしすることで自分たちへの非難を免れることができるし、将来もし日本の経済成長が盛り返せばという何の根拠もない思いを逆に正当化させる理由にもなる。

 その根本を作り続けた自民党が口先も乾かぬうちに公共工事への投資の再開を謳うのは、まさしく盗人に追い銭である。自民党として下野した期間、政策的な新発想もなく、大きな成長ぶりを示せていない政党の言うべきことではない。

 それに関しては、民主党も似たり寄ったりで政党としての態をなしていないとしたら、第三極という事になるが、こちらも政権をとれば民主党の二の舞いになりそうな雰囲気がぷんぷん漂う。

 日本人にこれから先の国の将来を託す人間がいない状態で、選挙しなければならないという泥船に乗っていて船頭を選択する選挙と言える。

 今まさに沈もうとしている泥船を、何とか河岸に寄せてくれることを乗員は望んでいるのだけれども、出てくる船頭のどいつもこいつも罵り合いばかりで相手の足を救おうとするばかり、乗員の運命など知らないという風情で議論してもしらけるばかりである。

 やはり日本は、少し小さな単位に統治を分割する時期に来ている。その少し小さな単位にすることで、行政機能を発揮しなければ末端の意見など政治に反映されないような時代に来ている。

 動脈硬化を起こした日本という体の隅々の血管に血を送り出すためには、複数のポンプを各地に設置しなければ可能でない状態なのなら、至急それをすべきである。すべての物事を中央で決して地方にやらせるという発想自体が陳腐化しているといえる。

 原発の問題も、もし稼働させるならその地方の問題とすべきである。その地域の住民が認めるならそれは構わないだろう。ある地域にとって消費税が30%が必要なら、一律でなくても良い。その代り手厚い福祉ができるならそれを望む住民はそこに移住すればよい。それが嫌なら消費税の低い地域に避難すれば良い。

 そういった生活の質を選択できるような社会を作らなければ、多様化したこの国で意見の集約などできっこない。もう中央集権国家の時代は終わったということである。