選挙の争点

 曇り、気温はマイナス10度くらいになっている。寒い。

 

 あの、311からもうすぐ2年が経とうとしている。あの時あの瞬間から、日本は右肩下がりの時代の流れを加速させたような気がする。

 それは、あの震災から立ち上がろうとする人とそれを結果的に拒もうとする人たちの温度差だと思う。

 あの日から直ぐ本来なら復興に向けた努力を進めなければならない時に、東電の原発事故が起き、混乱に拍車を掛けた。製造業は立ち行かなくなり、ヒトモノカネの流れが滞り、それを解決すべきすべが無く、大勢の無名の人の努力で何とかここまで来た。

 その大勢の無名の人の努力に対して政府は何をしただろうか?却ってその無名の人の努力の結果を一人占めしてはいないだろうか?

 そして、選挙を迎えたわけである。311の時に、復興に努力した人に対してどの政党の代表者も言葉が無い。そこに有るのは、仏教の言葉にもある現世利益ではなく、自己利益の追求である。自分を捨て他を生かすという根本的な指導者の持つべき資質を持たない指導者は、少なくとも人の上に立つべきではない。

 本当に立つべき指導者は立たず、仮面を被った妖怪のような人間が指導者になるべきではないのである。しかし、ヒトの本質を見抜くことは容易ではない。人は必ず騙される。

 今まで、原発にはいろいろ書いてきた。原子力発電所廃炉に伴う費用と保管の問題を今すぐ解決できないのなら、このまま慎重に動かして発電していても発電していなくても災害に会ったときの危険度は同じである。ただし、これは原子力発電所が、大震災に備える準備がなされているのが前提である。その考えに変わりは無い。

 しかし、その考えが揺らぐとすれば、それを利用して自分たちの利益のために都合よく解釈を変える人が出てくることの懸念である。

 原発容認派と一言で括られる人たちの中に一番左が期間を限定、例えば10年、20年で全ての原発廃炉する条件付きの容認派と最右翼は、このまま原発を作り続ける人たちというように幅が広い。そして、一番旗色が鮮明なのは、このまま即時廃炉という人たちである。

 その中で、一番心が揺れているのは、原発をこのまま続けて本当に日本の将来が有るのかという不安を解決してくれる人がいないという事である。もし、あの震災が300年に一度というなら後、300年は大丈夫だという人がいるという事である。

 確かに、必ず300年周期で訪れるものなら今後の期間にはあれ程の地震は起きない。しかし、悲しいかな地震大国の日本は、東北沖ならず、関東、中部沖などいたるところに地震を引き起こす巣が存在し、地震を引き起こす可能性が無いとは言えない国なのである。

 それを承知の上で、また今回のような原発事故が起きた時、今の日本では持ちこたえることはできないだろう。そしてその可能性は今でもあるのである。

 我々が生活するこの国の上でそういった災害を完全に防ぐことは困難である。しかし、もしそういった災害が起きた時に備え、災害の被害を最小にするための取り組みは可能である。

 そういえば、こういった災害が起きた時のために対応する国の組織の概要が見えてこない。何やらのど元過ぎれば何とかで、形を作っておしまいという状況に陥ってる様な気がする。これに関しては、そういった機関の宣伝下手が有ると思うのだが。

 人の上に立つというのは非常に難しい。色々な事を受けながら差配していかなければお飾りに直ぐなってしまう。そういった人間にならないようにしてもらうのが国民の義務なのだが、一度選んでしまえば無関心あるいは、利益誘導のみとなってしまうのが、国民の民度という事になるのだろう。