除染

 晴れ、朝日が東の空を昇ろうとしている。気温はマイナス20度近くまで下がっている。吐く息がメガネのレンズを曇らし、それが直ぐに凍ってしまう。

 福島の放射能汚染地帯の除染について国の方針がつい最近報道された。

引用 朝日新聞(http://www.asahi.com/special/10005/TKY201201260564.html

環境省は26日、国の直轄で放射性物質の除染をする福島県の警戒区域と計画的避難区域の除染ロードマップ(工程表)を公表した。地上から高さ1メートルの放射線量が年50ミリシーベルト以下の地域は、2014年3月までに作業を終えて居住可能な20ミリシーベルト以下にする。50ミリシーベルトを超える高い線量の地域は「今の除染技術でそこまで下げるのは困難」とし、断念することも視野に実施時期の明示を見送った。

引用 共同通信http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011201001707.html

東京電力福島第1原発事故を受け、福島県は12日、市町村が実施する除染作業にかかる費用について、道路1キロ当たり240万円、田畑1ヘクタール当たり100万円などとする基準単価をまとめ、公表した。

 福島県内では警戒区域や計画的避難区域など放射線量の高いエリアは国主体で除染する一方、それ以外の年間1ミリシーベルト以上の地域は市町村が除染する。費用は国の負担となるが、今回の基準単価を基に、市町村に費用が交付される仕組み。


 除染と一言で書いてしまうと、何やら簡単にできそうに思うから不思議である。
 
 しかし、実際に行うとすれば大変な作業力と技術力が必要なものなのである。それを知ってか知らないでか簡単な言葉に置き換えることで、既に物事の半分は解決したような気持にさせる。

 今回の、汚染の広がりは、大きな塊がある一定の地域に存在するわけでは無い。埃のような微小な放射性元素が噴霧したように拡散しているのである。
 更に除染作業に手間を掛けるのは、その放射性同位元素が目に見えないという事である。

 それをどうやって除染するか、国の方法は、土は表面を剥ぐ、アスファルトやコンクリートの表面は、高圧水で洗浄する。

 土などは、表皮を剥ぎとればその土地の汚染は無くなるが、剥ぎ取った土には放射性同位元素が含まれており、それを移送した先は、遮蔽などの措置を取らなければその周囲には近寄れないようになる。まさしく濃縮したようなものである。

 高圧洗浄による除染は、表面の放射性同位元素を洗い流すことができる。しかし、それも単にその場所から移動させただけで、その洗い流された放射性同位元素を含む水は、地面に染み込みまたその土壌を汚染する。

 今回、主に問題となっているセシウム半減期(放射線の出る量が半分になる期間)は凡そ30年、このまま除染せずに放置して、その線量が8分の1になるまで凡そ90年。

 今、50ミリシーベルトの地域も90年経てば、自然に約6ミリシーベルトにまで下がる。

 これを1ミリシーベルト以下になるまで待つとすると、半減期の原理から更にまた同じくらいの年月を必要とすることから、やはり90年程度待つ必要がある。

 上に引用した記事にあるように、除染費用は膨大で、更にその剥ぎ取った土やアスファルト、コンクリートは別に保管する費用が発生する。

 更に除染した地域がまた汚染されないかと言えば、また雨風で周囲の放射性同位元素が集まってまた線量が高くなる可能性がある。居住地域を優先すれば、その周囲の山などは後回しになるのだから当たり前のことである。

 では、どこまでの環境線量が人の居住に許されるかという話になるが、放射線の人体に与える影響に閾値が無いとすれば、少しでも浴びればそれなりに危険度が増すため、安全かそうでないかの線引きは困難である。

 結論から言ってしまえば、除染は、日本の運命を左右する事業であることは間違いない。なぜなら除染は富を生まない作業だからである。
 今の日本にこの先予想される費用を賄うことができるかが重要で、その除染費用の何分の1でも兆の単位であるのだから、その費用で移住先を見つけた方が良いという選択肢もあるだろう。

 住み慣れた故郷を、自分の責任外で離れるのはつらいのは良く判るが、起きてしまった災害をまた元に戻すのは困難なことである。
 そのことを理解してこれからの方針を決めて欲しいと思う。