コンプガチャ

 曇り、遅咲きの桜が満開である。風が花びらを散らすため地面に点々と花びらが落ちている。


引用 毎日新聞(http://mainichi.jp/select/news/20120509k0000m020077000c.html) 

携帯電話などで遊ぶソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のゲームの高額請求問題で、消費者庁は、くじ引きの要領で特定のアイテムをそろえると珍しいアイテムが当たる「コンプリートガチャ」(コンプガチャ)について景品表示法違反の可能性があるとして、業者に注意喚起する方針を固めた。松原仁消費者担当相が8日の記者会見で明らかにした。コンプガチャを巡っては、子どもがアイテム集めにはまり、親が高額な料金を請求されるなどの問題が起きており、同庁はこうした商法に一定の規制をすることも視野に検討する。

 カードと言えば、思い出すのは、永谷園のふりかけについていた葛飾北斎の東海道53次のカードを集め。最初手元に集めておくのだが、中々、違うカードに巡り合うことが無く、しまいには、忘れそのまま廃棄してしまった事である。自分の記憶が確かなら、53枚集めると何かカードフォルダーを貰えたような記憶がある。

 その後、野球選手カードなどが有ったが、全然収集欲が湧かず、それでも一つ有ったのが、切手収集が小学生の時に流行り、それに便乗して中学生の頃まで集めたことが唯一の収集癖であった。

 コンプガチャとは違うが、数年前携帯のWEBサイトで、ポイントを使ってスロットを回すというゲームが有った。無料でもらえるポイントで数回すると、最初はかなり高確率で当たるのだが、徐々にその確率が下がるようにできていた。もし、ゲームに熱くなるような切っ掛けが有ればのめり込むのだろうが、そのゲームで得るものがあまり魅力的では無かったように思う。
 
 コンプガチャも、そういった収集家が持つ収集欲をついた商売なのだろう。更に、それでそろえたカードを使えばゲーム仲間からうらやましがられるという点は、商売としては巧妙である。
 
 しかし、残念なことに仮想空間の世界では、それは実際に存在するものでは無く、ゲームの世界を抜けてしまえばそれは存在もしないデジタルデータだという事である。
 多少のコストを掛けてカードをデザインしてしまえば、その先、実在世界には何も残さず空気のようになってしまう。そのカードのために数百万円をつぎ込む人間が存在し、そのあぶく銭を手に入れる業界が存在する。
 いくら巨額の利益を得ようともその吸い上げたお金がまた社会に還元されなければまさしくマジックである。されは、経済構造から逸脱してしまうことになる。

 コンプガチャは、そういったネットゲーム業界の大事な柱だったらしいから、もし規制が入れば大変な痛手を蒙るはずである。しかし、経済的な価値が無いものによって日本の経済が動いてしまうと将来大変なことになってしまうだろう。この先、人間が仮想空間でしか生活できない環境になるというのなら、正しい道筋だろうが、実際人間は、実在世界に存在している。やはりここのところは押さえておかないとまずいだろう。