イギリス

 晴れ、気温は0度近くまで冷え込んだ。朝日が昇り始めると気温は上昇し始めたがまだまだ寒い。

 鉄の女、サッチャー元首相が亡くなったイギリスで、あの改革を褒め称える声と同時に、非難の声が上がっている事に驚いている。

 あの溺れかけたイギリスを救ったという形で日本ではなっているのにと不思議に思った。結果的にイギリスという国がロンドンオリンピックを開くまで回復したのに、その回復の犠牲となったとされる低所得者階層の憤りは強い。

 昔、イギリスは、貴族社会であった。今よりももっと上下の格差は激しく、最下層は奴隷のようなものだった。その格差社会を、民主主義という政治活動で破壊して見せた国民だったが、その民主主義というイデオロギーも貴族社会のような格差社会を再び構築させてしまった。

 人間は集団に成ると、自分と周りを比較し格差を付けたがる。それは日本社会でも同じである。昔、日本にも士農工商という格差社会が有ったように、群れた人間は、相手にレッテルを付けることで安心する。そして自分にもそのレッテルを貼ることで、相手を称え、そして見下すようになる。

 民主主義は、理想は素晴らしいが、その思想を完璧にこなすような人間はそう多くは無い。多くの人間は、その民主主義すらも自分たちの格差社会を作るために利用する。

 そしてイギリスは、1割の富裕層と9割のそれ以外というようにまたも住み分けされてしまった。しかし、もしかすると今回のサッチャーへの怨念は、新しい革命を起こす切っ掛けになる可能性がある。もし、イギリスでそれが起こればたちまちヨーロッパを席巻するだろう。

 その火種は、今のEU各国の財政危機からの回復とは関係なしに起きるだろう。

 それでは日本は?というと、まだ日本では大きなうねりは来ない。それは日本人がどこかで安定を求める気質だからである。最後まで徹底的争う事を嫌うし、もしそういった事が起きればその火種から離れようとする人種だからである。

 今の日本は、アベノミクスに沸いている。これからの景気回復に明るさが出てきたからである。あの明かりに向かえば誰もが幸せになれると思わせる目印が出来たからである。

 しかし、その明りも近づけば灯台の明かりでは無く、蛍の光の可能性も無くは無い。もし、そうなったった時革命が起こるかと言えば起きないだろう。

 その事実にがっかりするだけで、また希望を探して歩き始めるのだろう。その明りを目指せと声高に叫んだ人間に対して責めることは無い。

 自由主義、民主主義は、人を平等にする道具だと信じられていた。しかし、その実態は、お金を稼ぐのも自由だし、その金を使い更に富を膨らませるのも自由というものである。その稼ぎ方により多くの人の自由が制限されようとも、そのお金を稼ぐ自由を制限すれば自由主義は崩壊すると信じられている。

 そして結局、自由主義社会は、民主主義という不平をそらす道具により、昔の貴族社会を作り上げようとして言うだけなのかもしれない。

 そういう意味で、日本は、貴族社会を作れるような社会風土を持たないだけまだましなのかもしれない。どこかでバランスを失う事を怖れ、極端な階級主義を取ることができない構造になっている。

 今後のイギリスの動きに注目しなければならないだろう。