高校野球

 曇り、気温は15度くらい少し肌寒い。

 高校野球の予選が各地で始まった。母校の活躍を期待して新聞で確認する毎日である。その中で、朝日新聞高校野球についての記事が載っていた。

 その中で印象に残った言葉が、「1割のプロ予備軍と9割の球児」である。※実際の表現はこれと違う。

 そういった9割に含まれる球児の最終目標は、甲子園に出場することである。この先、プロ野球の選手に成ることを幾らか夢見ているかもしれないが、目の前にある目標は、あくまでも甲子園出場である。

 真夏の炎天下、あの太陽の直射日光を浴びプレーするというのは、本来の野球をする環境という観点から決して行われるべきではないだろう。しかし、甲子園という場を目指す若者にとってその暑さも思い出になるに違いない。

 そして、もう一つのグループである。プロ予備軍にとって甲子園は、出て当然、もし出場したなら如何に自分をアッピールして将来の自分を評価してもらえるかという大事な舞台である。そのためには、真夏の暑さなどこれから先の事を考えれば無視できる問題である。

 そして、そういった真夏の炎天下に行われる甲子園に何ら疑問を持たずに試合を行うのである。その中で、エースピッチャーは、連投も厭わず、肘や肩が壊れようとも投げ続ける。

 またそれを見ている者も、ボールを握る握力も無くなったピッチャーが懸命に投げ続けるのを感動という言葉で一括りにして応援する。そこで、彼の選手生命が途切れたとしても、その劇場型の感動を味わいたくて見ているのである。いうなれば、応援するものにとって何らかの浪花節的な根性ドラマを待っている只の観衆である。

 本来なら、高校野球は、あの真夏の炎天下の甲子園で行うべきでは無い。もし選手のためを考えるなら、8月では無く、9月に行えばよいし、兵庫では無く、東北、北海道などの涼しい気候の場所で行うべきものである。

 なぜ変えられないかと言えば、伝統という呪縛と、商業主義という全く高校野球と関係ない部分で蠢く大人たちのせいである。

 この伝統ある高校野球の形式を大胆に変えるという事は無いだろう。この先も、このままで続けられることは間違いない所である。更に言えば、9割の高校球児にとって高校生の夏休みに行われることは、これが終われば、受験勉強などに方向転換できるというメリットがある。もし、秋に行われるようになれば、甲子園を目指す高校球児は減ることだろう。