許し

 曇り、気温は11度。

 人生に2度というのは無い。こう書くと何やら意味深である。

 毎日同じ道を通勤時に歩いているが、同じような景色でも少しずつ変化している。そして、昨日と同じ条件で歩くことは無い。

 もし、昨日と何もかも同じ条件で時を過ごせるなら、或いは、過去に自由に戻り過去をやり直せるならと思う事がある。しかし、それは絶対不可能であり、SFの世界でしかない。

 今生きている人に与えられているのは、人生の過ちを元に戻す努力をすることだけである。失敗を取り返すことこそが、もう一度目的とする道に戻ることである。

引用 河北新報http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140519_13031.html) 

東日本大震災により児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市大川小の津波災害で、児童23人の19遺族が石巻市宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が19日、仙台地裁であり、市と県は請求の棄却を求めた。

 市側は「児童が津波に巻き込まれることは予測できなかった」「いったん校庭にとどまるよう指示し、その後に避難させた教職員の対応に過失はなかった」と反論。県も「大川小付近には津波の来襲記録がなかった」などと主張した。

 これもその一つである。きっと訴えた側、訴えられた側も過去に戻れるなら子供たちを津波が押し寄せない所に避難させようとするだろう。もし過去に戻れるならである。

 しかし、過去には戻れはしない。

 あの時、冷静な判断をし、子供を安全な場所に避難させる役目を負った大人たちは何を考えただろう。本当にあんなに大きな津波が来ると想像していただろうか?

 もし、自分がその時の教師なら次に来る被害を予測して行動できただろうか?色々な思いが浮かぶが、本当にその時その場にいなければどういった行動をとれるか想像すらできない。

 自分が働いている所にも、災害時の非難マニュアルというものがある。速やかに安全に非難するという事が書かれているが、どこにどのようにまでは詳細に書かれていない。それは、そういった想像もできないような災害が起きた時に、各自で考え行動せよということである。

 更に身近な災害として火災が有り、それに対する消火活動と避難方法についてマニュアルがあり、これは消防署の指導もあり毎年1回は大規模な避難訓練を行う事になっている。

 

 こちらは、起こりうる可能性が大災害よりも確率的に大きいため遥かに詳細に書かれている。マニュアル通り行動すれば火災に対応できるようになってはいる。

 しかし、それもおもに人手がある日中を想定しており、夜間、休日などの人員がいない場合については詳細に書かれていない。もし、そういった人手が無い場合に火災が起きた時は、マニュアルに書かれているような行動を取れる人数がいないため消火活動などは、身近にある消化器くらいしか利用できないだろう。

 もし、自分がいたら最低限の消火と避難誘導くらいしかできない。後は消防に連絡し応援を待つしかない。

 自分が考え得る災害時の行動の仕方について恐ろしく何もできていないことに気付く。それは、多くの大人たち、子供の安全を守る必要のある大人たちの大多数が自分と同じ状況に置かれているのではないかと想像する。

 もし、今、この時に避難命令が出て高台に避難するように放送が入ったならどうするだろう。自分一人なら、身一つで高い所を目指してすぐ行動できるだろう。

 しかし、多くの小学生を連れて高台に避難させなければならないとなった時、果たして短時間で冷静に考え行動することができるだろうか。

 何故なら、直前に大きな地震を体感し、不安で怯えている子供たちを教室からだし校庭に集める。その中で教室に取り残された子供たちがいないか確認に歩き、全ての子供たちが揃ったところでどちらの方角に避難するか決定する。

 それまで、津波警報が出ているが、予報では最初3メートルという数値だったような気がする。その高さは、校舎の屋根を超えない高さだと考えると、小学1年生が行動できる安全なルートは何処だと考えると、アスファルトの道路を隊列を組んで歩くのが安全安心だと考えるだろう。後者の裏山の崖を昇れば安心とは誰も考えなかったかもしれない。

 残念なことに川に近い所に有った小学校であったため津波の直撃を受けることになってしまった。避難するために歩いてた子供たちも結果的に大きな津波が遡上する川の堤防の方に向かって歩いてしまいその津波にのまれてしまった。

 この裁判において勝者は誰も居ない。例え裁判で避難方法が間違っていたと認定されたとしても子供たちは生き返らない。それは間違いのない事実である。

 人は、結果はそうであったとしても、その何かを変えたくて行動するものである。この裁判を闘う事で、少しでも子供たちが生きていた証を得ようとしているのかもしれない。

 多くの人が犠牲となり、それに対する怒りは大きい。誰かの責任を追及することで自分の心の安らぎを得ることも有るだろう。色々な思いがそこに入り込んでいる場合もあるだろう。

 もし可能なら、あの場の当事者がお互いを許しあえる裁判であってほしい。