対 讃岐

 雨上がりの晴れ、気温は8度。

 昨日は、ドームに讃岐との戦いを見に行った。残念ながら事前の報道に有った通り小野選手は出場せず。実は、生でまだ実際に見たことが無い。今まで出場した試合は、見に行けず。磐田戦には間に合うのだろうか?自分にとって小野選手はまだ架空の存在である。

 そして、試合の方は、札幌が攻め込む際には、サイドも思いっきり下がり6-4に成る守備で札幌の攻撃を跳ね返す讃岐の前に得点を奪えず。まえ掛かりに成ったところを裏にボールを出され外国人選手に抜け出されゴール前のラストパスを前の選手がスルー、そして決められるというカウンターのお手本のようなゴール。選手を見てボールを見ないプレーで崩される守備の選手にとっては不注意としか言いようが無い。

 前半は、その後も札幌がまえ掛かりに成るが攻めあぐね、見ていてあくびの出る展開となる。札幌の選手たちも後半勝負と割り切った戦い方である。

 前半で気に成ったのは、やはり全体の動きである。前にあれだけボールを運び相手の守備ラインの外側で自由に持ちながら、外の選手が思い切り斜めに飛び出すような動きが無かったことである。ドリブルで突っかけるのは、余程技量の差が無ければ不可能だろう。Jリーグではその差は余り無いため、弾き返されてしまう。途中気の利いたパスを出そうとするのだが、それに反応し無いのであれば思い切りミスパスである。

 今季開始当初から抱えている引いた相手を崩す動きがやはりできていない。個で打開するそれなりの選手が居なければ得点を奪うのは厳しい。

 更に中盤で、ボールを奪うのだが悉く讃岐に渡ってしまうのも、札幌の選手の動きが悪い証拠である。勝たなければならないという気持ちが体を固くさせ一歩が動かないのだろう。


 そして、運よく後半開始早々、札幌は内村選手の持ち込みからゴール前に上げたパスを都倉選手が押し込み、同点に追いつくが、その後の得点機会をシュートミスで逃すとそのまま試合終了。

 

 それにしても昨日の会場は楽しめなかった。試合に引き分けたことも有るが、ゴール裏の応援は声に張りが無くお経を聞いているようなもので、更に悲惨なのはチャンスを外した時のため息が大きいこと。あれでは選手の背中を押すというよりネガティブパワーを与えているだけ。

 ため息をつく応援なら黙って見ているだけの方が良い。更に言えば、ゴール裏と一体となった応援の仕方をもう一度再考すべきだろう。

 青年たちが一生懸命応援を盛り上げようという気持ちは判るが、それが伝わってこない部分がある。それは、若い時にありがちな、自分たちが応援している姿に酔ってしまう事である。応援というパフォーマンスをしているだけで自分たちの虚栄心を満たし、あたかも自分たちが上であるかのような見下した態度を取る。それが応援拒否やブーィングに繋がって行く。

 本来なら選手が発揮する姿を見て、自然発生的に沸き起こるものが真の応援だと思う。そしてそれが試合開始と共に直ぐに選手の気持ちを高揚させる力に成ることが出来れば成功である。

 

 Jリーグが発足して始めてサポーターという認識が出来、最初に真似されたのがヨーロッパスタイルである。応援する時間はあたかも方が及ばない無法地帯と化しても構わないという過激的なサポーターのフリーガンのような振る舞いをする輩もいた。それが本場の空気を味わうというものだった。

 そして、発足当時の雰囲気もそれを許すような風潮が有ったのも確かである。それは、早く日本もそのような殺気立った試合会場を実現すべきというまさに本場に被れた人間が係っていたのだと思う。

 しかし、それはあくまでも過度期的なもので徐々に興行上それでは観客数が伸びないと考え始めたJリーグは、方向転換を始める。過激な応援は徐々に処罰の対象に成り、ゴール裏を取り仕切る過激な集団も排除されるようになっており、自分たちのストレスを試合の応援という形で発散するのはご法度になってきた。

 健全な応援スタイルを求めるために、どうやって観客をも巻き込むかが今の応援する側の課題である。昨日の試合は、1万2千もの観衆を集めながら手拍子の音は小さく、試合に興味の無い子供の姿が目立った。ある意味一見さんの姿が多くみられ、自分の贔屓のチームを応援で勝たせようとする雰囲気では無かった。

 

 その歯がゆさにゴール裏も空しさを感じているに違いない。しかし、それは違うのだと言いたい。会場全体を一つにしようとする方法が間違っているのだと思う。もし、会場と一体化した応援をしたいと思うなら、ゴール裏だけを固めるのではなく、主力を分散させるのも手だと思う。会場のそこかしこで応援の塊が出来ればその周囲に応援が波及する。

 今のままでは、応援はゴール裏に任して自分たちはのんびり試合を見ている層とに分かれてしまうだろう。というよりは、その傾向はJリーグ黎明期から変わらないことなのかもしれないが、もう今のようなスタイルでは今後も尻つぼみに成るだろう。