地震予知

 曇り、気温はマイナス5度。


 予報というものは、当ることは少ないものである。関東大震災や富士山の噴火、東海地震など起きる起きると言われて久しい。しかし、起きないことには、予報は外れたとしか言いようが無い。この先何時かは起きるかもしれないが、それがいつ頃という事が判らなければ何の予報にはならないからである。

 その一つに地震予知連絡会という組織がある。これは、色々な機関の職員が集まり情報交換をする場で、国管轄の委員会である。

 今後予想される地震がいつ起きるかを情報交換しながらその災害に備える情報を集約するところであるのだが、実際起きた日本の大地震である、阪神淡路、東日本大震災など予報すべきところで何の情報も発信することが出来なかった。ここが、長年唱えてきたのは、東海地震である。もしそこで地震が起きていたなら違ったものに成ったに違いないが、実際に起きたのは東北沖である。

 何故、このような事が出来るかと言えば、やはり人口密集地における地震の予知が出来ればありがたいことであるし、国としても地震国家日本において何の対策も無いとなれば国民から批難を受ける、更にそれに食いつけば税金を原資とした研究資金が得られる学者の思惑が一致したからという下世話な言葉で言えば濡れ手に粟である。

 日本は国土そのものが四方八方からプレートと呼ばれる地殻が押し寄せてできた島国である。静岡沖に限らずどのプレートが崩壊して地震が起きるか予想が付くはずもない環境にある。だから、来月どこそこに地震が起きるなどという事は、予想にできるはずもない。

 そんな状況で予想するなら外ればかりになるに違いない。

 その中で、比較的正確に出るのが天気予報である。もし、地震や火山の噴火について天気予報のように確実に把握できる技術が出来たなら素晴らしいことである。それが出来るできないかは、画期的な発明や事実が出てこないことには無理だろう。