噂話とニュース

 曇り、気温は3度。風が有るので体感は零下である。

 毎日、色々なニュースが飛び交う日常を生きていると気に成るニュースはあっという間に過去のものに成る。例えば今日の一番の話題は、日本代表の長谷部選手の結婚間近というものだろう。

 

 しかし、ネット上に現れるニュースの賞味期限の速さは異常である。新聞社などのニュースサイトが有料化を目論見、記事の有効期限を設けていることが一因と考えられるが、ニュースの期限が早くなればなるほど、その価値はどんどん低くなる。

 どんなに重大なニュースでも、情報が伝わらなくなれば消えてしまったことと同じことに成るからである。それが正しい正しくないにかかわらず自分たちが選んだ道であるからである。

 昔から、ニュースというのは消えていく運命であったが、新聞やテレビラジオという媒体が無かった時代は、日本全国に広まるものは噂話であった。

 ここで面白いのは、噂話というものは発生源は一つでは無い場合が多い。普通考えると火元は一つと考えがちだが、例えば火事場にいた人が多数であればその多数から色々な話が広がるものである。

 その広がる間に尾ひれがつき、同じ話であったとしてもそれが融合するととんでもない話が同時多発的に伝えられる。そうして長い時間を掛けて嘘か誠か判らない話が伝説のように伝えられてきたわけである。

 そして、本来は情報伝達のスピードが飛躍的に早くなった時代においては、同じ話が津々浦々に伝わると思いがちだが、実はそうでは無い所が面白い。

 何故なら、情報発信源が同じだとしても伝える側が脚色してしまえば違う意味にとられるからである。更に、今のニュースにも尾ひれが付くことも多く、意図的にニュースの本質を変えて伝えられることもしばしばである。

 今、日中韓の間で歴史認識が異なるというのも、今の時代では、正しい物が伝えれれているという常識が間違っていることの証明である。

 本来なら真実は一つしかないと思っているだろうが、そこから生まれる架空の物語は複数あることに気付く必要が有るだろう。